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わっふる日誌
WaffleDiary


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風に負けない
ハートのかたち

1999年12月12日

綺堂 さくら

from
とらいあんぐるハート
(製作:ivory

綺堂 さくら

たとえば、人から「夏町さんって、しっかりしてますよね」なんて言われたりすると、とても困ってしまうのは、自分がぜんぜん頼りない人間だと思っているからで、単位数を計算し間違えてあやうく卒業できなくなるところだったり (^^; 新聞の勧誘員に騙されそうになったりするのは(覚えてろよ、○日新聞〜 ←でも自業自得)、我ながらどうにも情けないのです。

他の場合だってそうですが、それでも、人から意外なところを評価されたりするのは、きっと自分には分からない何かのフィルターがあって、それを通せば全然思いもよらない自分が見られてしまうのかなと後になって思います。たとえば、恋とかね。

恋愛ゲーム(自分が話の主人公になって劇中の女の子と仲良くするゲーム、というか最近は小説に近い。)をやっていて面白かったことが一つあって、ゲームは小説よりも自分の体験が話の主人公の体験と重なりやすくて、先に述べたようにフィルターのかかった状況を半ば主観、半ば客観的に見ることができるのでした。というわけで、以下、PCゲーム「とらいあんぐるハート」でのお話。

綺堂さくら、高校一年の少女。とても可愛いくておとなしそうな彼女に、主人公である相川真一郎は、恋というわけでなく普通に出会って、それで何度か話をするうちに一緒に映画を見にゆく仲にまでなります。

映画の終わった後、話もはずんで(これがまた夏町の趣味にあう映画で、ほんとに話がはずんだり (^^;)喫茶店をはしごした先で、さくらは真一郎にちょっと愚痴をもらします。誰か頼りになる、話を分かってくれるに聞いてほしかった、自分のホンネのことを。

それは、彼女が身体が弱くておとなしそうに見えるから、くみし易いとみた男たちが頻繁に声をかけてくること。彼女は本来気丈なので、それをきっぱりとはねのけるけれど。そして、そんな外ヅラや体にしか興味がない、ただ「かわいい彼女持ち」という称号が欲しいだけの男たちへの痛烈な批判。

・・・これには、苦笑いでした。さくらの発言に、例のフィルターを感じられたから。恋愛ゲームのプレイヤーとしては、友達として好意を持ってストーリーや会話を楽しむと同時にもちろん下心もアリで遊んでいるわけで、相川真一郎の言動も紳士ですが下心が共存しないかというと、やはりそうでもないように感じられる。真一郎がさくらの嫌うその「男たち」の一人であるのか、あるいはさくらの信用できる紳士な男なのかが、プレイヤーの感じかたに委ねられている結果、私はそこに真一郎の純愛よりもまず、さくら側のフィルターを、さくらが真一郎のことを気に入ってるんだな、という色メガネを感じたところが面白いと思いました。「好き」、と言葉で伝えられるよりも、恋に迷う感じが見られて、なんとも愛しく感じられて。

とらいあんぐるハートは、メディアを生かしたストーリーテリングが上手で夏町お薦めのゲームです。(18禁には違いないんで、そういうのが苦手な人はどうかと思いますが。)話の内容が女性的、というか、男が書きにくいようなところをズブリと書くところが、体験的な話として感じられるのかな。

エンディングの描き方が特に好きですが、このへんはPCゲームの手法というよりは漫画の手法を持ちこんでいます。(どんなものかは、やってのお楽しみ。)



未来なんて知りたくないけれど、最後まで、愛する人と、幸せに、添いとげられたという事実なら、知ってもいいような気がするよ、さくら?

ザウルスの1999年

年の瀬が近づくと思い出すのは、ちょうど一年前に今のザウルス(MI-110M)を買ったときのこと。当時の日記を遡って見ていただけると分かるように、やたら浮かれていましたよ、私。

そのころから、Web上にはBiTmapPublishingのsugichさんのようにNewton MessagePadでどしどし絵を描く方がおられて、もちろんTiPOやWiz、Zaurusなど他のPDAでも絵を描く方がおられて。そのタテヨコ300ドットもないはずのキャンバスに生まれてくるイラストは、どんなものでも描けてしまって、信じられないほど大きく感じられて、私、そのどこまでも向こうに続くようなキャンバスに、自分も絵を描きたいと思ったのでした。

好きな小説やゲームがあって、そのキャラクターや世界をイラストにしたかった。それはファンアートとも呼ばれるものですが、以前に私がMacで描いていたカラーイラストでは、どうも気負ってしまって描きはじめるまでの敷居が高く、好きなものを色んな角度からどんどん描いてゆくには重すぎたんです。そこに、ちょうどPDAで描くイラストへの興味が重なりました。PDAのモノクロイラストなら、カラーよりも気楽に描けるかな?

12月も終わりに近づいたころ、大阪日本橋へPDAを買いに走りました。当初の予定はNewton MessagePadでしたが、もう製造されていないことや人気があることもあって、姿すら見かけることはできませんでした。他のPDAは下調べすらしていませんでしたが、でもせっかくだから見てゆこうと店頭でいろいろ触っていたところ、その中に求めていた描画機能に近いPDAがあったのです。それが、ザウルスポケットMI-110Mでした。

ザウポケを使い始めて、間違いなく絵を描く敷居は低くなりました。Macより起動時間が圧倒的に短いのも良かったのでしょう。そのうちに絵だけでなく文章もザウポケで書くようになって、ホビー機として使っていたMacはザウポケにその座を譲り渡しました。毎日二時間の電車とバスでは、本を読むかザウポケで文章を書いているかです。ワープロ文書は研究のメモと創作を合わせて一年で150件にもなりました。思いついたことをどこでも電子的に書きとめることができるのは、10年近く遠距離通学を続けてきた身には画期的なことに思えます。

ザウポケは私の生活を変え、創作の助けともなりました。二次創作のショートストーリーはもちろん、こちらのWebには載せてませんが、TRPGのシナリオや詩の幾つかもこのザウポケの上で生まれました。手書きメモによるイラストのほうは30枚弱になりそうです。Macで描いていたカラーイラストが3年で20数枚ですから、私としては随分なペースですね。(一枚にかかる時間はカラーもモノクロも同じです。)自分でザウルスに絵を書き始めてからまた凄いザウルス絵描きさんたちがおられることを知って、それに刺激されるように色んなイラストに挑戦しました。

でも、1999年はザウルスにとって寒い一年でした。アイゲッティ、アイクルーズなどの新型ザウルスはインターネット端末としての側面が強調され、ワープロや手書きメモといった創作ツールとしての側面は、なおざりにされました。その結果、ザウルスを使って創作しようという人はこの一年で増えることもなく、それどころか他のPDAへ乗り換える人の方がよく見られました。実際、私が乗り換えなかったのも、買ったばかりだということと、お金がなかったというただそれだけの理由です。

そんな中で、ザウルスMI-C1(ざうまがに詳説があります)が発売されました。ワープロ、もちろんついてます。LCフォント、とても見やすいです。文字入力速度、むちゃくちゃ速いです。画面、固くて線が歪みません。星を描いてもゴミになりません。大きさ、ほとんど同じポケットサイズです(以上、MI-110Mとの比較)。これに、ユーザの皆さんによるMOREソフト(追加ソフトウェア)を必要なだけ利用させてもらえば、もうなにも言うことはない最強の創作ツール・・・のはずだったのに。

MI-C1は「手書きメモ」の操作体系に問題があります。
手書きメモの操作体系は、ザウポケの場合、ツールパレット+プルダウンメニューでした。下図の「ペン」「直線」・・・と並んでいるのがツールパレットで、ペンでツールをクリックすると、すぐにツールを切り換えることができます。一方、ツールパレットを表示させているので半分隠れてしまいましたが、「太線」と書かれているのがプルダウンメニューです。これはクリックするとWindowsの「スタート」ボタンのようにメニューがずずずっと縦に伸びるように現れて、現れたメニューの中の一つをまたクリックすることによって、機能(この場合は線種)を選ぶことができます。

tool

ツールパレットは表示に場所こそ取りますが、ツールを切り換えやすいことから、お絵描きソフトでは必須のものとされていて、PhotoshopやPainterなど代表的なPCのペイントソフトでも採用されています。とくに「ペン」と「消しゴム」は頻繁に持ち換えるものですから、ツールパレットなしには絵なんて描いてられません。

・・・にもかかわらず、カラーポケットやアイゲッティでは、ツールの選択にプルダウンメニューが採用されました。そのため、「ペン」から「消しゴム」の持ち換えには2回のクリック動作が必要です(メニューのプルダウンに一回、選択に一回)。クリック回数だけではなく、ツールパレットならクリックしやすかったツールの選択領域(「ペン」とか「直線」だとか書かれているスペース)が、プルダウンメニューの場合、横長でクリックしにくいのです。

ツールパレットのないお絵描きソフトというだけで、かなり致命的なものがありましたが、それでもこれは主に「ペン」と「消しゴム」の切り換えだけなので、慣れればなんとかなると思える程度でした。

けれども、ザウルスMI-C1の「手書きメモ」はそれどころではありませんでした。ツールの選択をプルダウンメニューにするだけではなく、プルダウンメニューがスクロールするようになってしまったのです。またWindowsの「スタート」ボタンを例に挙げますが、「スタート」ボタンの項目が多くなってくると、一画面にプルダウンメニュー(多くの場合、ポップアップメニューという方が適切ですが)を表示できなくなって、まだ表示されてないメニューがあるよ、って意味でメニューの下端に「▼」が表示されますよね。この▼印をマウスで押すと、ずずずっとメニューがスクロールして隠れていたメニューが見えてきます。MI-C1ではメニューが画面一杯になるわけでもないのに、ツール選択の際にこんな風になってしまい、選びたいツールが半分隠れた状態になってしまいます。(買ってないんで、画面写真がなくて申し訳ないです。)

持っておられる方は、試しに「消しゴム」から「ペン」に切り換えてみてください。「ペン」に切り換えるためには、(1)プルダウンメニューをクリック、(2)▲印を押して「ペン」というメニューが見えてくるのを待つ、(3)「ペン」を選択、の3動作必要なはずです。メニューの表示領域が足りないわけでもないのに、なんでこんな仕様にしたの、シャープさん?

きっと「手書きメモ」のペイント機能は、開発の人があんまり使ってない機能なんでしょう。(デジカメが付けれることからかフォトレタッチ機能がいろいろ付いてましたが、それはペイントではない。)私にとっては、夢や力をとても与えてくれた機能なんですけれど・・・。

ちょうど前日、MOREソフト開発ツールであるSZABをダウンロードしていじりまわしていました。描画まわりのサンプルプログラムが豊富で、これなら私でもなんとかMOREソフトを作れそうだな、シャープさん素晴しい、と思っていた矢先のことで、内蔵標準ソフトである「手書きメモ」が非道い仕様でも腹立ちは少なかったのですが、それにしても開発には時間がかかるし、今、一台しか手持ちのザウルスのない状態ではザウルスのハングアップが怖いので開発したくはないし(修論前だというのもあるけどね)、内蔵ソフトが良いに越したことはないわけで、MI-C1のことで盛り上がっていただけに、水を差された気分でした。ふぅ。

そういうわけで、シャープさん、ぜひ
「手書きメモ」にツールパレットの復活を!


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「森林光年」

1999年12月6日

天野 美汐

from
Kanon(KEY

天野 美汐

さくら 「・・・うそつき」

名雪 「・・・うそつき」

さくらちゃん、ごめんなさい(ドサマギの名雪にはポカッと。) 12月6日が大切な日だと昨日知ったので、こちらを優先してあわてて描きました。・・・でも、頑張ったけど、間に合いませんでした。リアルタイムで読んでる方には分かると思いますが、今日はもう12月7日です。天野にもゴメン。ラフになっちゃったけど、またちゃんと描き直すから。

以下の文章は、Windows95,98用ゲーム「Kanon」((c)KEY)に贈る二次創作です。
天野と祐一が出会ってから一年、この地にまた寒い冬が訪れます。

お祝いをしたい女の子がいるから
食堂を使わせて欲しい、と言ったら、
秋子さんは深いことは聞かずに笑顔で了承してくれた。

祐一はそんな叔母に感謝しながら、
自分が少し思いつめた顔をしていただろうことを申し訳なく思った。
真琴がいなくなってからまだ一年目のこの冬に、
きっと他に理由は考えられなかっただろう。
秋子さんにはもうそのことで心配をかけたくはない。

一人で買い物に出かけると、
くすんだ空が十二月の街を無人の森に変えていた。
コンクリートの木々は静かに雪を手のひらに載せ、
山のはるか向こう側で待つ春を、遠く見つめている。

この冬の風景の中に、街と同じ目をして佇む天野がいる。
春や夏に会った頃は、ときどき友達とも話をしているようで
笑顔も次第に大きくなってきていたけれど、
冬が近づくにつれ、街を独り歩きする天野が、
はじめて会ったときの諦念交じりの口元を取り戻していてゆくことに
祐一は気づいていた。

「よぅ、雪ん子、」

歩道に刻まれた小さな靴の形を追って声をかけると、
白いコート姿の少女が足を止めて振り向いた。
首元までの軽くウェーブがかった髪が揺れ、
ふっくりした頬に支えられた、
静かな、射抜くような天野の目が祐一を見つめている。

「変なあだ名をつけないで下さい」

「新米の刑事には、変わったあだ名をつける決まりなんだ」

言い訳してみるが、あだ名に怒ったわけでないことは目を見れば分かった。
天野が、誰もいない昼と夕の間の街に、
いつもと変わらぬ強い目で何かを見通そうとしているから、
祐一はこの銀の森に立つ独りぼっちの少女に声をかけたくなっただけで、
天野はそんなとき、声をかけて欲しくなかっただけで。

「刑事に何の御用ですか」

祐一が一呼吸置くと、少し気まずい空気が流れた。

「・・・なぁ、明曰、時間あるか?」

もっと何気なく伝えるはずだった言葉を、
祐一は結局、ためらいながらに告げてしまった。
少しうつむいた天野は、足元の雪を踏みしめて、
黒く水へ溶けてゆく形を占いにでもするかのように見つめていた。

「・・・明日でないと、駄目ですか」

「刑事の仕事があるなら、俺が代わってやるから」

「明日は、あまり楽しい日ではありませんよ」

「ああ、月曜日だからな」

天野が立つ側の商店の扉が開いて、
中のざわめきと数人の女子学生が吐き出されてくる。
場所を譲って学生たちを見送った後、二人は視線を半ば交差させながら、
白い息を言葉に代えて、しばらく時を過ごした。

「・・・明日、どうすればいいんですか、」

「放課後、一緒に家に来てくれないか。・・・もちろん、家の人は居るから」

「はい」

動き出した街から視線を外した天野が、祐一を真っ直ぐに見ていた。
少し分かるようになったはずの、表情が読めないから、
だから、祐一は天野を誘ったのだった。

「邪魔して悪かった。じゃあな」

「それでは」

遠ざかる白いコートの背中にもう一度礼を言うと、
天野は足を止め、少し見返りながら頭を下げて行った。

夕暮れが近づくにつれて商店街に人は増え、
街灯の点く頃には引くように去ってゆく。
祐一が遅くなった夕飯の買い出しを終える頃には、
降り出した雪が、住宅街の窓明かりへと消えてゆくのが見えた。

冷たい雪を透かして届く光の中に、祐一は一人の少女の姿を思う。

明日、十二月六日は、天野の誕生日だった。




天野 美汐 and 相沢 祐一
in second winter

森林光年

どこまでも遠く続いてゆく
透明な光の信号



comming soon!







遅ればせながら、誕生日おめでとう、天野。
SSは、続きます。


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「東京星へ、行こう。」

1999年11月27日

野中 晴

from
イエスタデイをうたって(冬目 景)
with
東京(大塚利恵)

野中 晴

なくしたものは、おとぎ話。

たとえば、自分が苦しい時、
どうしようもなく辛い時のために、
あらかじめこの世界の中には、
目に見えない魔と戦うための
武器が用意されているということ。

星は、空のたからもの。
夜空の一番高みに輝く星は、
どこにいるかさえ分からぬ敵を
討つことのできる「つるぎ」なのだと。

東京星に住むわたしたちは

誰かの物語る声を

ほんものの言葉を忘れ

自転車で埋められない距離は

電話や新幹線でも埋められないと知ったから

屋上から見る遠くの景色を

どんな場所にでも心が届く証として

胸の隙間に抱いて

忘れかけた物語の中で

星を見上げ

つるぎを手に取り

夢で逢った自分に戦いを挑む。

そこは、どんな街ですか?

好きな人がいますか?

今日は何がありましたか?

物語を聞かせてください。
夢の街で、
夢を忘れてしまわないように、
ずっと、お話をしていてください。

つるぎを天にかかげれば
星に灯がともり、
東京は、
屋上ごとに灯をともす人の
光の渦となって、
電波銀河の通信が始まります。

聞いてほしい人がいます。
海を越えてくるラジオのように
遥かな言葉の重なる波間に、
誰かの顔が浮かびます。

物語の種から、
空が、森が、海が、街が、
新たな子供を孵して、
たからもので一杯の胸を、
そのまま渡してしまいたい
誰かがいるから。

だから、
どれだけ世界が速くなっても、
そんなたからものが必要なのだと、
思って、
泣いて、笑って、わたしは、
世界じゅうの東京星に住んでいます。

ハル

笑わせてあげる(大塚利恵)

with ハル

ビジネスジャンプ12/1号をぱらっと立ち読みしたら、
ハルがやたらと可愛いかったので、そのまま買って帰りました。

そういうわけで、遅ればせながら、1999年6月30日の日誌で「イエスタデイをうたって」に合わせたナンバーと言っていたのは「東京」でしたが、間も空いたことなので「笑わせてあげる」も追加。

新幹線に味をしめて東京へ行きすぎたせいか、預金も尽き、利恵zzo(^^;のライブにも行けず、なんとかお金を残して来月のユカさん出演のライブだけは行きたいところですが、来月は来月の風が吹いてしまうので、先行き不明・・・。でも、夏町は来年東京に住む(はず)なので、それからこれまで行けなかった分を取り戻したいところです。

どこに住んでもさみしいのは一緒だから、変わるとすればきっと、そういうことくらいなのでしょう。


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夏町 銅貨
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