Waffle in the AIR
AIRのおはなし
AIRについての日記みたいなおはなし。
温度の話。
観鈴の家で眠るまで、
私の理想のオープニングに近いです。
朝、一人きりの部屋で目が覚めることの繰り返しはもう嫌だったし。
幼なじみが起こしにこようがこまいが、自分の部屋の冷たさはいかんともし難い。
透子に言われるまでもなく、その部屋は冷たい部屋だ。
(直弥は信じなかったけど。)
MOON.で名も知らぬ少年と過ごす部屋の温かかったこと!
自分の部屋じゃない、というその一点において納屋で寝るのが良い。
家の中の「自分の部屋」というのは変えられなくて逃げだせないものだから。
少なくとも、納屋は自分の部屋じゃないから、
冷たくってもまた別の場所を探し続ければいい。
家族ゲームで疲弊しきった
自分の部屋の冷たさだけは、どうしようもない。
ゲームに意味を追及して、透子のように意味を失ったそんな冷たさと、
意味を追及しなくていい旅情の温かさと。
少し話を戻して、
観鈴のあまりの鍵っ子ぶりに参ってます。
これ文字通りの意味での鍵っ子。念のため。
あと晴子の鍵っ子の母っぷり。
そんな無防備に人連れ込まないでください。
それでお母さん、そんな観鈴を叱らないでやってください。
がお、なんて精一杯の、無意識の恨み節は聞いていて辛いところがあります、
そう言いたいんだけど、
ひよこが買えなかったのも学校から帰ってきても居ないのも
本当に仕方のないことで、
観鈴がそれを恨むのも、母親が観鈴を叱るのも
なんら間違ってなくて、
時が解決するか、観鈴に兄妹ができるか(義理でもなんでもいい)
しかないんじゃないかと思います。
で、話の導入も過ぎて、途中の謎ダイダラボッチの話。
往人も言ってたような気がするけど、
観鈴マップのあの左上の山奥にいるの何ですか?
やたら気になってしまう私は私で駄目人間だけど、
もしもこんな脅威を山の奥に必要をもって描かねばならないのだとしたら、
地図の中に描かずにはいられないのだとしたら、
私は観鈴に惚れる。
可愛いから可愛く描くんじゃなくて、
自分に必要だから可愛く描いてみるということはあるよね。
小さい頃って、よく地図って描きませんでした?
地図を描くのもわりと好きだったし、
もっと好きだったのは、迷路を描くこと。
これ、この前のお盆のとき実家に帰って、
祖母から聞いて思い出したんですけど。
小さい頃の私は、裏の白い紙を見つけては、
その紙一杯に細かい迷路を描いていました。
特に、夜になると必ず居間のコタツで描いていました。
大きい紙であればあるほどやりがいを感じました。
家にある広告の裏紙で、私の迷路が描かれてなかったものはなかった、
というか、わざわざ母が私の迷路用に
裏の白い広告を残しておいてくれていました。
ずいぶん長い間、続いてたような気がしましたが、
子供の頃のことだから長く感じてただけで、
実際は小学校へ上る前の一年間くらいのことじゃなかったかと思います。
自分の思うがままに描き出した迷路と、観鈴の地図とはどこか似ている。
そう描かずにはいられない。
思えば今も私の描く絵も、あの頃の迷路に似ていることがある。
あと、笑いが凄いという話。
子供に人形蹴られて、魚河岸で助けられて、
おにぎりもって、観鈴に会って、ラーメンセットを食いにゆくくだり。
ああ、もう好き好きっ。
笑いのなかでどんどん言葉を忘れながらお話に入ってゆくわけですが、
最後の別れでまたおにぎり貰って、
そんな風にしてお話が始まったんだということを思い出させてくれます。
それで再び、言葉も思い出されてくる。
魚河岸で助けてもらってもおにぎりしか貰わない手切れの良さとか、
ラーメンセットみたいな家庭料理と程遠いものを常食してるとか、
自立した家出少年といった感じの
(あるいは母をたずねて三千里の)往人が、
鍵っ子と鍵っ子ママに出逢ってしまったわけで、
こりゃ長びけばどっちかが負けるしかない状態で、
でも、特にドラマティックなことは起こらずに別れることができました。
よかった、よかった。
観鈴のお兄ちゃんになるつもりがないんだったら、
とっととこんな街からは旅立ってください。
とかいうことを、笑い終えた後になんとなく思ったのでした。
今回はじめてデフォルト名でやってます。
だって、マニュアルに名前書いてあるし。
で、見てのとおり、EDロールの流れる終わり方はしませんでしたけど、
心に残るところは多かった。
だからこれもまたAIRだったんでしょう。(2000/9/22)