Waffle in the AIR
AIRのおはなし
AIRについての日記みたいなおはなし。ようやくFarewell songを二つ聞くことができました。
自分の中にあるおはなしの世界に自覚的な人間のおはなしだった。ただの空想の世界が、おはなしへと変わってゆくのを往人は知る。それは共時性にも似て、互いの中にあった空想の欠片が、出会いによってはじめて、昔からあった一つのおはなしへと結晶する。
空想というのは幾らでも自分の好きなようにできるもんで、観鈴のように手を広げれば、飛んだつもりにもなれる。だけど、おはなしというのは制御不可能で、自分に都合の悪いものだって生まれてきて、消せない。それが観鈴が死ぬなんて話であっても、なかったことに出来ない。
生活の中におはなしのモードが浸食している。生活の中におはなしを作り込まなければならない不器用さ。いや、それこそがつまり生活なのだ。物語的存在としての自分に確信的。
例えば、浩平の中にみさおのおはなしが生まれる。あるいは、寒い場所は嫌だから、と最後は校舎に引き返す茜やみさき編の浩平と、寒いと知りつつ屋上で食べ続ける長森との差。長森は不自然だ。だけど長森は自分の中で屋上の寒さに他の意味があることを知っている。危機の中で(それは、寒さ、なんていうささいなことでも良かった。)浩平と一緒にいなければならないという自分のおはなしに強制された場所。それはけして浩平のためじゃなくて、ただ私は浩平じゃないとだめなんだよ、と、作り上げてゆく自分のおはなし。
成瀬の屋上はなんですか? なってない。成瀬の自然体は憎くて、そして愛しいのだけど。
「観鈴の代わりに、俺が精一杯頭を使って考えるのだ」
祐一は舞の代わりにおはなしを紡ぐ。舞の中にとめどなく溢れるおはなしの奔流を、新たなおはなしで導いてゆく。幼い頃、舞と会っていたらしいこと。それ、本当か?いや、それは他でもない舞のおはなしだったから、事実かどうかなんて関係ないじゃないか。ともかくどうすれば良いのか俺が精一杯考えるのだ。俺が舞と会っていて、そして別れがあったのだとしたら。俺は、未来へと思いを馳せた。そして、そこへ続くおはなしを必死に考えた。生まれたての過去を思い出した。そこにきっと、希望があった。
名雪と祐一の過去なんてのは昔あったらしい事実として描かれてるので、これから解決だってできるんですが、みさおの話や舞の話なんて、そもそも自分の中で今生まれ続けているおはなしだからこそ、もう自分の力ではどうしようもない。とにかく読んで読んで読みまくって、次のおはなしへたどり着くしかない。問題があって、それを解決する、という図式ではない。おはなしを殺すのではなく、確信的に新たなおはなしを生産しながら生きることで、おはなしから逸脱しようとする。
麻枝さんがキャラと物語とを比べたとき「キャラが先にくることはありえない」と言ってるのは、物詰的存在としての自己への確信の表明に等しいと思う。
自分の中のおはなしについては、美凪とその母との夢うつつとしても言及されていて、これは主人公以外の口でもって語られてるから、おそらくこれまでより分かり易くなっている。
あと、みちるが美凪の胸に抱く小瓶であるとき、それはもう一人の美凪であったし、三つの瓶が一つになるとき、母の特製クリームシチューの味は二度と忘れることはないだろうし、三人は同胞だった。
おはなしとしては完壁だけど、話題としてはもう前にやった話です。ONE、kanon、MOON.と、ずっと私と麻枝さんとは対話してきたつもりだったから(ゲームっていうイン夕ラクテイブなメディアに、私はそう幻惑させられている)私は、そうだったよね、とうなずいて、次の話題を待っています。
これまでに積み上げられてきたものを全て示してから、一体、どこへ進むのか。いや、Dream編で終わらないことくらい、さすがに噂で聞いてるんです。