ネットワーク時代における物語空間の広がり



全ての「関係」が「メタ物語」として物語空間を拡張する可能性について、コミュニケーションの不完全性をヒントに考察する。

記憶、または知識とは何らかの形で伝達されるものであり、それは、口伝に始まり、文字メディア、映像、電子メディアへと手段を増やしながら、今に至っている。ここで、その伝達の際に発生するノイズの量から、知識を「物語」と「科学」に分類したい。

「物語」とは、一種の仮想現実であり、いつかどこかで経験された事件が、それとは異なる時間や場所で語られることである。そして、その時、人は何らかの意図をもって語るものであるから、その意図のために事件が多少なりとも改編されることは、避けて通ることが出来ないだろう。そして、受け手も何らかの意図や先入観をもって物語を受け取るものであるから、その結果、物語の伝達は大きなノイズを伴うことが多い。古であれば、旅人が旅程で遭遇した山賊の恐怖を語るとき、彼は己の感じた恐怖をよく伝えんがため、事実よりも過剰に山賊の暴虐を語るかもしれないし、旅の経験なき聞き手ならば、それをさらに恐ろしく、山賊があたかも魑魅罔両であるかのように受け取るかも知れない。日常の会話であってさえ、人が何かを語るとき、ノイズは避けられぬものである。

一方「科学」とは、観察や実験の結果、経験的に妥当とされているものであるので、その伝達においては聞き手の「科学的知識」による補正が加わり、物語ほどのノイズは起きにくいと考えられる。

そうしてみると物語は、その伝達において常にノイズに晒され、変化してゆく。このことは、物語が伝達される度に新しく生まれ変わっているのだと言ってしまっても良いのではないだろうか。その極端な例としてはオマージュ作品や翻案が挙げられるだろう。

物語の伝達を、これまでとは異なる視点で見つめてみる。ある物語が送り手から受け手へと伝えられたとき、伝えられた物語は「生まれ変わった」物語であるが、元の送り手の知る物語も死んでしまったわけではない。送り手の知る物語と受け手の知る物語は世界に共存している。そして、二つの物語の間にはその生成順序や生じた変化を示す「関係」が生まれるのである。上の例ならば、「オマージュ」や「翻案」という語が示すのは「関係」である。

さて、世界に溢れる「情報」とは、事象と事象との「関係」に他ならない。そこで、この「関係」を深く見つめるとき、ここにも物語の伝達された軌跡を見つけることは出来ないだろうか。「関係」それ自体が「メタ物語」として、物語空間を拡張してゆくことが出来るのではないだろうか。

ローカルでは各種メディアの発展と連携、グローバルでは地球規模のネットワークによって「関係」は急激に世界に溢れ出している。その急先鋒を担っているのはWWWにおける「Link」だと言えるだろう。WWW以前からあったハイパーテキストというものに我々が惹かれた理由は、そこにある有機的な「関係」が物語空間を広げたことにあったのではなかっただろうか。そして、今、世界的規模のWWWは有機的に繋がる一つの巨大な物語を創り出しているのではないか。

いや、世界を包む物語などというものは、大航海時代よりもうあったのかも知れない。ただ、それが「Link」によって顕在化しているのだろう。私の頭の中にも多くの「Link」が張り巡らされているが、そこに「物語」を見つける予感を感じながら、一つ一つ丁寧にWWWに載せてゆくとき、新しい物語空間を創造することが出来るのではないかと思っている。

1997/02/03


天球儀植物園へ
短冊懸へ
寿琅啓吾 <soga@summer.nifty.jp>