| It rains, she loves cats and dogs. |
月別: 2004年10月
Little Clover(3)
Little Clover(2)
Little Clover(1)
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C loves you. C loves me. C is lover, the Clover. |
かえで通りにて
「かえで通り – brandnew days innocent -」(inspire)は学校を卒業した人たちの話であるから今の自分と近しく感じられる.一方で彼らは二十歳そこそこであって,それは僕にとって十年前の出来事であるようにも思える.だからクレジットで2000年と表示されたとき,1990年代のゲームでないことが奇妙に感じられた.つまるところ僕は彼らから十年遅れて同じ場所に立っていて,これは2004年の僕の出来事であり,1994年の彼らの出来事である.
世話を焼くということをこれまでやってこなかったものだから,世話を焼きたい相手が生まれたときにどうすればいいのか判らない.相手の邪魔をしてるように感じたり,自分を頼りなく感じたり,そもそも世話を焼く相手を間違えたりしている.
2003年初頭の僕は「かえで通り」について次のように述べている.
世話を焼く,というとても意図的な関係のとり方が,そこでは当たり前のように積み重ねられてゆく.睦月がひろゆきさんを佳澄のお婿に迎えることがその極端のもので,それでようやく days innocent からこのかた睦月がゆりかと体を重ねるのも睦月なりの世話の焼き方だったのだと判った.これまでそれをうまく言葉に出来なかったのだけど.
あの場所が水や空気のようにあるのではなく意図によって維持されていることを,私はたくましく思う.それは睦月の意図だけではなく,世話を焼かれるほうの意図も必要とする.世話を焼く人を前にしたとき,焼かれる人は自分が何を求めるかというアピールを行ってようやく対話が成り立つ.もしかみ合わないとしたら田舎からは大量の余計なお世話が送られてくる.お米券とか.しかし,自分が相手から欲しいものを探して伝えるのはたいてい難しいことのように思われる.かえで通りの彼女らに余計なお世話が存在しないのは,世話をする人,それは主に睦月であるが,皆はその世話に対して自分が求めるものが何かを応えることが出来るからに他ならない.
現在,佳澄の話のみ.それはちょっと前のことになるのだけど,今日言葉になったので.
(R.S.T. 2003/1/25)
昔の自分は今の他人であるから褒めることにするが,さすが慧眼であると言える.今日,あかりの話を読み終えてみると上の言葉がそのまま当てはまっていた.あともう一つ思うのは,人は余計なお世話をするだけでなく,勝手に世話を焼かれることもあるということである.僕は今まで積極的に世話を焼きたいだなんて思ったことはなくてただあるがままにやっていたのだけど,それでも少ながらずお世話になったと伝えてくださった人が居た.だからなんだかいざ自分からそうしようとすると,何をどうすればいいのだか判らないでいる.
そんな感じでふわふわとしているこの頃だけど,話してるとき,この大学,この研究室に来て良かったと思うようになったと言ってくれた人がいて嬉しかった.僕のおかげかどうかは判らないのだけど,僕にそう言ってくれたことが嬉しかった.
例えば,鳴瀞学院のような場所って理想じゃないですか.だけど,工学部というのは言葉に長けた職人を育てる場所であって,半分職人であるから口動かすな手を動かせと言い,残りの半分では手ばかり使うな言葉にしろと言う,矛盾に満ちながらもそのサイクルをぶん回すことで前進してゆく.そんな荒っぽい中ではじっくり道を決めるのは難しい.かといって一度回転を止めると手も頭も動かせなくなってしまう.その両極端に揺れるさまをなだめすかしつつ,なんとか卒業してくれて.その中でもしも工学のことを好きになってくれていたとしたら幸運と思うわけで.
来年の3月にはみんな笑ってられるようにしていたいと思うわけで.
かえで通り – brandnew days innocent – (inspire)
メーカーサイトはすでにないため,げっちゅ屋のページへ.
水源の物語
今も各地に残る弘法井戸の伝説では,弘法大師が杖で地面をひと突きするとそこにこんこんと水が湧き出てきたのだと言う.水はどうして生まれたか,川はどこから始まるのかという類のことは,お話としてしか言い表すことが出来ない.ここは何某川水源地であるという看板を河川の上流域へ行くとよく見かけるが,この看板は神話の零落した姿であると言える.
水源の物語といえば小説ならば早見裕司の「水路の夢[ウォーターウェイ]」,映画ならば石井聰亙の「水の中の八月」が好きだ.いずれの話も街の水源となる地が核心に置かれ,前者は東京の水源である小河内ダム,後者は水の中の博多市であるところの玄界市の水源地,弥呼山が重要な舞台となっている.また,主人公が高校生の少女で水に触れることを好んでいる点,水源地にまつわる宇宙的存在と交感するに至る点でも偶然に一致しており,偶然でないとすればこれは今時おばあさんと弘法さんよりは女の子と宇宙的存在のほうが納得を得やすいということなのかも知れない.
こんなことを考えたのは,さっきまで水の中の八月を見直していたからである.最近夜眠れなくて今日もどうしようかと思っていたが,ふと友人から何年も借りっぱなしであったビデオのことを思い出した.おそらく「エコエコアザラク」のために貸してもらったのだったと思うが,その後ろに水の中の八月も入っていたのでエコエコに引き続き見ることにした.懐かしい.僕の水好きはこのあたりに端を発するが,水源地の看板について云々し出したのは最近のことであって,原点に戻ってみると非常に面白かった.なんと弥呼山の水源地にもやはり「湧水源」などという看板が立てられていたのである.両作品の美しさは,立て看板やダムの名前に宿る小さな神々が少女の手によって宇宙的なスケールへ広がるところにある.
それにしても15歳の小嶺麗奈がほんとうに綺麗で息を呑んだ.彼女が出てきた瞬間,体がきゅっとして,その後全身から重苦しさが抜け落ちていった.はるか昔,好きだった人のことを思い出したような感覚で,いや,事実,当時の僕は彼女のことが好きだったのである.そのことを久しぶりに思い出した.
渇ききった博多の街に雨が降る.映像が終盤に差し掛かった朝方,この京都でもちょうど雨が降り始めた.今日の夕方には台風が上陸するそうである.
では,おやすみなさい.
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水路の夢は絶版であるが,電子書店パピレスで購入することが出来る.
ナップルテール
坂本真綾の「夜明けのオクターブ」には”ポーチ”と名前を呼ぶフレーズがある.僕はこれをはじめ犬の名前(ポチ)だと思い込んでいたのであるが,元となったゲーム(Napple Tale)のほうをやってみると人間の女の子の名前だった.しかし,Napple Tale のはじめの企画では,彼女は犬と間違えられてナップルワールドへ連れ去られてしまう予定だったらしい【奇種流離譚〜門倉直人・思緒雄二 寄稿/草稿集〜 より】.そのことを後で知って,改めて納得したのであった.
海外展開の都合で犬をやめて猫にしたそうであるが,そうするとこの勘違いには妙な推理が必要となる.猫と間違えてポーチを選んでしまった慌て者のストレイナップは語尾に”デス”を付けるのが口癖であって,四葉のことを思い浮かべるといかにもありそうな話に聞こえるから可笑しい.
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「夜明けのオクターブ」収録
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School Rumble #1
スクランのアニメ版第1回を見た.漫画では印象に残らなかったが,アニメで見てようやく天満の背が低いことに気付いた.天満と八雲の姉妹は妹のほうが背が高く,二人並んで歩いていると性格も含めたその凸凹ぶりが連想されて面白い.余談であるが天満の身長は154cmであり,これは八雲よりは低いが僕の姉よりも高い.八雲と天満の身長差は12cmで僕と姉との身長差は20cm,年下のほうが背が高いというのは男女の差を差し引いてもやはり不思議な感じがする.
アニメを見ると背丈の違いが目立つのは,おそらく漫画を読むときにはさほど人間の身体の大きさを気にしていないからだろう.少なくともあの子とこの子がぶつかりそうだというとき,漫画においてそれを双方の身体の大きさと進行方向あるいは空間の幅とを手がかりにして察知することはほとんどないと思われる.アニメ版第1回には天満と八雲を並べて映すカットがあるため素朴に比較しやすかったとも言えるが,同じように比較可能なカットを漫画版で探せば第3話(単行本p.25)に出てくるにも関わらず僕はそれを見逃していた.このことは,彼女らが奥行きを感じさせる絵の中で連続して動くことによってはじめて,僕の意識を彼女らの身体のサイズへ向けさせるような別の手がかりが生まれたと考えるほうが妥当だろう.ものの大きさというものは僕にぶつかるとかぶつからないとかいう相対的な動きの中,あるいはそれを第三者に対して連想することによって知覚される部分がある.
ギャルゲーがアニメ化された場合にもそこではじめて女の子の背の低さに気付いたことが何度かあり,「みずいろ」の小野崎清香や「Memories Off」の伊吹みなもがそれに当たる.いずれも147cmである.これはさすがに僕の姉よりも小さい.僕が常日頃並んで歩いて見慣れた身長の下限は姉のものであるため,彼女らとのことを想像をするとまるで小人と歩くようである.なるほど,壊れてしまいそうで怖いとはよく聞くが,こういう気持ちであるのか.
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