はつめいぼくのまち

仕切りなおしてから一ヶ月ばかり経った.ぼくのまち(仮)プロジェクトも今日の仕事で第一段階までは達成できたように思う.

企業との共同研究のために権利を確保しておく必要があって,先月大学の知財を通して特許出願したが,それが予期せぬ事態を招いている.成果の配布が難しくなったのである.正直なところ早く自分のWebページで使いたかったのだがこの点では少し回り道になりそうだ.その代わり大口の取引先へアピールすることはたやすくなった.先日,gooのRSSリーダーが公開されたが,個人でRSSリーダーを制作している人から見るとうらやましくなるペースでダウンロードされていると聞いた.自分が使うことをさておくと成果を多くの人に使ってもらえるならその入り口はどこからだっていい.BSDライセンスにする手もあったかと思うが,大学の法人化を契機とする知財の方々の獅子奮迅っぷり(医薬を除く全学でひと月に約40件出願しているという)には感化されるところがあったので,一緒に出願できたことは良かったと思っている.

目標まではまだあと二三段階残っている.年度末までに到達できればきっとこの一年はいい年だったと振り返ることが出来るだろう.

シナモンロール

いまどきの中学の校則は知らないが,結局のところ小遣いが少ないため喫茶店なんかには入れないだろうと思う.僕が喫茶店に一人で入るようになったのは大学院に進んでからで,特にミスタードーナツが多かった.当時は気のふさぐことが多くて大学にも行きたくないしかといって家にも帰りたくない,だから大学へ行く前は学園前のミスドで,家に帰る前は最寄駅のミスドで本を読んで落ち着いてから足を踏み出すという感じであった.その習慣は東京へ行ってからも続き,朝はミスドで本を読んでから大学へ行くことが多かった.そしてそこで出会ったのがシナモンロールであり,僕とミスドと里村茜とを繋いでいる.

シナモンロールはロイヤルと共同開発の末に生まれたメニューであり,鳴り物入りの宣伝が打たれていた.しかし,その大きさ,食べにくさ,甘ったるさは他のミスタードーナツのラインナップから明らかに外れている鬼っ子であった.初めて食べた際の感想は,無茶苦茶甘い,そして手がべとべとするので困る,というものだったが,それでもミスドへ入るといつもシナモンロールを食べていたのは里村茜のためである.ONE(輝く季節へ)の里村茜と言えば甘ったるいワッフルであるが,あいにく近所にマネケンのようなお店がなかった.つまり,その代用であり,僕はシナモンロールによって里村茜の気分を味わっていたのである.

さすがに不評であったのかこのシナモンロールは一時販売が縮小され,しばらくしてから新生シナモンロールとなって再び店頭に並びはじめた.小さくて食べやすい.そして前ほど甘くない.しかし,それは僕の食べたいシナモンロールではなかった.それでも僕はやっぱり思い出にしがみつくかのように食べていた.

シナモンロールはその後,お持ち帰りのみの販売となり,今では店頭から姿を消してしまった.僕はというと東京から帰って来た今もまだミスド通いが続いている.休日になるとそんなに食べたいわけでもないのにミスドへ足が向く.そろそろ出てきたお腹の気になる歳であるというのにである.


ミスタードーナツ
ポン・デ・ライオンは確かに可愛いが,ゴブリンのほうが好きだ.とくにパンキンの紹介文がいい.曰く「いつか王子さまが迎えにきてくれると信じている.フワフワのフレンチクルーラーを食べている時が,一番幸せ.」


輝く季節へ

輝く季節へ

中川亜紀子のリーディングがあるためあえてこちらを薦める.

たんけんぼくのまち

いつものミスタードーナツへ入ったら,レジのところにメモ帳サイズのアンケート用紙が置いてあった.見ると向かいにある中学校の課題であるらしい.曰く「好きなドーナツはなんですか?」「このお店の好きなところはなんですか?」手書きの文章にイラストが添えてあって可愛らしい.クラスかグループで決めた項目であろう,前者は決まり文句であって,こういうとき子供はまず好きな食べ物から尋ねるものである.これは別にいじきたないわけではなく子供と大人に共通する話ですぐに思いついてなおかつバリエーションのありそうなことは食事くらいしかない.僕は「オールドファッション」と答えた.後者についてはまさかONEの里村茜が…から始めるわけにもいかない(しかも話がミスドに辿り着くまでが長い)ので,嘘ではない別の答えを書いた.それにしても内容はたいして問題でないはずだ.紙の束として集まった,知らない人の書いたペン文字に目を通すことが最大の学習となるのだろう.それは昨今では文字が電子化されがちだからという意味ではなく,そもそもめったにないことだからである.

修業時代

例えば家族において,ただ彼らが長年一緒に過ごしているという理屈によって,相互の距離のとりかたであるとかものの考え方であるとか抱えている問題といったものが,祖母から母へ,母から息子へ伝達してしまうことがあるように,師弟関係や学び舎の兄弟の間にもそういうところがある.プロジェクトの学生をみていると研究内容とは関係しないところで昔の自分と同じ轍を踏んで苦労していることが見て取れるのであるが,それを客観的に評価し,あらかじめ対策を打ってあげることはつい昨年までその中にあった人間としてはむしろ難しく,歯がゆい.せいぜい一緒に考えてやることしかできない.

また,よく言われる話であるが初学者に対して説明することはこちらにとってもよい勉強となる.いつもは枝葉の繁り具合ばかり見ているように思うが,素朴な質問へ答えているうちに幹の輪郭もはっきり見えるようになってくる.自分では判ってるつもりでもそれがうまく説明できないとがっくりきて,勉強する動機となる.子をもたない者としては,7つも8つも歳が離れた人と語る機会があるのは随分と恵まれた学びの場を与えられていると思う.

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代について僕が気に入っているのは意外かもしれないがミニヨンのことではなく,第8巻第1章でヴィルヘルムとフェーリクスとの間にそのような関係が見られるようになる点である.それは,陰謀めいた一連の話において,例えばフェーリクスがヴィルヘルムの実の子であるかどうかなんていう話とは無縁に,ただ望ましいものとしてそこにあるように思える.

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈下〉 (岩波文庫)

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈下〉 (岩波文庫)