1巻-6巻まで

テレビシリーズにおいてねこにゃんダンスに注目されるのがよく判る話でした.たぶん,最終話付近ではもうみんなでこれ踊るしかないようなテンションの恋愛模様になってるのではないかなぁと思う.

ちょこは園児たちにとっていいお姉さんだなぁ.千歳さんはちょこにとっていいお姉さんだなぁ.真琴さんは千歳さんにとっていいお姉さんだなぁ.という長幼の相対運動が見られるのも好み.心強くて.

ちょこ #10

雑破業も竹内桜も井出安軌も大好きなのですが,とある理由で原作とは一度袂を分かっているので見ないことにしてた.のであるけど,現在理性が減退しているので見てしまった.いや,見れば好きに決まっているのですが.

千歳さんが可愛い.妄想少女は他人でないので.つまり可愛いのは僕か.

想像するだにこんな嬉しい旅行があっていいだろうか.溶けますね.あの場合,一番眠れなかったのは千歳さんであるはずです.

迷子


(Zaurus SL-C3000 + CloverPaint)

頭が文字ばかりではおかしくなります.ちょっと休憩.

ロリコンをこじらせると針金すら少女に見える,とどこかで聞いたような気がします.

TH2 #12 #13

判らないその気持ちを名付けようもなく,どうしたらいいか判んないよねと二人笑っていられることの,誠実さ.
判るっていうかそれは気づきと呼ぶべきもので,桜の季節はいつの間にか過ぎ去っていて,また来年いつの間にか開いていて,気温やら陽当たりやら栄養やらの悪戯で.

谷川流「学校を出よう!」(3)

2巻は飛ばして3巻を読みました.表紙で選んだら.

回りくどい解説を与えて逡巡しながらも,原因と結果は白黒つけようという向きのお話.向きは向きであって,最終,結果を描くかっていうと描写されないことが多いのだけどね.茉衣子が類になんて説明したのかとか,部室の滋は最後にどうなったのかとか,そこんとこは助平されない.ただ,1巻に比べると結果の一歩手前までの因果はずいぶんすっきりしてしまっている.ともあれその中で若菜たちの部屋についても同じ流儀にしたがうならば,他の人の例を参考にしてみるとあの部屋で茉衣子が増えた理由は若菜にとってうり二つの茉衣子が増えて欲しかったためだという推理が進められそうなものであって,他の推理でもいいのだけど,しかしそこを推理することを良しとする人はさしあたっては居なくて,これはそもそも触れられないままになる.そういうことをわざわざ採り上げるのもなんなのだけど僕としては申し訳ないけど触れさせてほしいところで,「茉衣子ちゃんが二人になっても、あたしは困んないよ。(p.156)」困んないというかむしろ,そうあってほしかったはずで.しまいには「ね、一緒にいようよ。あたしと春奈も昔はこんなだったよ」(p.272)という言葉になる.自分たちがしていたリボンを渡すとかね,この双子を重ねる様子は改めて書かねばならぬことではないのだろうけど,おそらくは兄と同じ理由で春奈の姿を甦らせることはなかった若菜の,それでも分身とともに暮らすという日々が自然に望まれたとき,身近なところで水色さんと桃色さんとしてそれが現れたということをね,春奈の面影として僕が記憶しておきたくて.

こと推理する上では茉衣子が茉衣子の分身を増やしたということも充分にありそうなんだけど,若菜はもっと茉衣子に迷惑をかけるのがいいと思ったのでその説は採らない.

白峯(石川淳「新釈雨月物語」より)

想念バトルを終えることのできる両者の老練,あるいは老獪さ.ドラマチックな全訳注*1と比べて,注釈なしで一気に読むとまた違う印象だね.

崇徳院と西行との会話は電波交じりでかみあわないのだけど,そのずれたところから魔王がはみ出してきて,今度は魔王のほうが言葉の上でのずれを取り込んでしまって,西行無言のうちに,怪異であるところの魔王は夜明け前,かみあわない言葉どもを引き連れたまま霧散する.この魔王も電柱と戦う虎であるが,その様を西行に見せてしまえるあたりは年の功で.

ついとらドラと結び付けてしまうが,ヤング崇徳院とヤング西行が,むかつくんじゃーっ,と叫びつつ白峯に立つ電柱と戦う話でもいいと思った.おそらくは対世界妄想幻魔大戦的発想として(ミルナさん,有り難うございました).

死せる妹の会

みたいなそれ.気分なので判んなくていいけど.泣くの無理.むしろ死にたい.

谷川流「学校を出よう!」(1) どいつもこいつも勝手なことを,この電波たちめ,であるのだが,SOS団の連中より臭いところの,つまりは火宅,それラスト見たまんまじゃねぇかという大炎上.

想念という言葉が暴走している.想念し得る推理を押し付けてくる者や想念されるがままの混沌を望む者,自分勝手な強固な想念をこそ声高らかに述べる者.そして妹を想い「全部ノー」であると口を閉ざすのもまた.クソ想念に立ち向かうのは同種のそれしかなくて.忌むべき想念バトルの結果,もう目覚まし時計は飛んでこないのであって.想念なんか死んじゃえ.

いや,実のところ春奈が消えてしまったことについて確かな原因と結果なんて言えないわけであるが,そこに至るまでにあった気持ちの流れのうえではともかく人間や何かに責任を置きたくてね.だから第三の中庭に電柱を植えにゆきたい.それでもって,つまり,とか言ってまとめようとする僕は死んじゃえと思った.いまを生きる.

傑作である,と手放しで想念しようとすると死んじゃえという気持ちになるので,作中のやり口を借りるなら《    》とでも記述すべきピアノの音のようなものが手元に残された全て.

とらドラ!拾遺

以下,これまで言いそびれて話に組み込めなかったこととか.

影崎由那の「かりん」を好きすぎるのでは,というのは田村くんを読んだときから思ってたことで.つまり,あいつわけ判んないから気になってしょうがねぇ,と7巻の長きに渡って気づき続けたような恋愛模様について.とらドラ!とかりんについては単にいくつか見た目が重なるという話.

勇度の高い少年少女のことを語るというのは都築真紀のそれを思いだしておきたい.「並び立ちたい」というセンスは蓮飛と晶とかたくさん,とくに恋愛よりも優先されていそうなその語り口において.あと竜虎とかいざ鎌倉のように少々時代のずれた感覚を持ち込むところもロケットパンチ*1と共通するどんくささ.

いや,それらを思い出すことによって何の話の広がりもないのですが.ただラブっつうか.

恋とは違う感情に関しましては,高河ゆんの方便*2を.愛している人と幸せにしてくれる人は別だったり,一番好きな人とよーくわかる人は別であったりする.影艶(愛している人)はあやの前から姿を消すし,じゅりあは逆にクーフーリン(よーくわかる人)を残して王子(一番好きな人)とともに妖精界へ去る*3.ゆん的には遠く離れることによって選び難い大切な人たちとの繋がりが夢想されるのだなぁ.ちなみにクーフーリンも影艶も料理が出来て,好きな人には甲斐甲斐しいタイプで.ともかくまぁ,とらドラ!のみなさんもうまいこといくといいよね.

竹宮ゆゆこ「とらドラ!」 (1)

この人の話は胸が苦しくなるので避けていたのだけど,電柱と戦う話だと聞いたので読もうと思った.それと戦わねばならぬということは直感できる.

読後に町を歩いたら電柱のことが気になった.すると,町の電柱というのはほどんどが傾いてるものだということが判った.つまり,そうした気づきに関するお話でもある.

後半,いつものごとく文字が頭に入らなくなってきて,何度も同じ行を読み返す破目になる.こんなときは自分の好きなペースで読むことが出来るだなんてそんな酷な話はなくって,映画のように勝手に過ぎ去ってくれればいいと思う.そこで北村君の「逢坂。大丈夫だよ。大丈夫」という言葉が良い.大丈夫な気がしてくる.彼は言葉遣い師であって,こういう人が逢坂と竜児の近くにいるのは望ましい.なにせこの身は一つである.竜児は逢坂の「傍にいるぞ」と言うのであって,この大丈夫と傍にいるとが北村君と竜児との違いである.傍にいたり電柱を一緒に蹴ったりするというのが言葉の器用でない竜児にできることで,言葉については逢坂も似たり寄ったりで,傍にいることによって身体を互いに占有させている以上,第三者にとって空きのある手段は言葉しかない.言葉っていうのはここでは竜を虎と並べるような連想のそれではなく,ひとつづきの談話のなかに並べられ,うそやほんとや断じたり留めたりがうねっているそれで.北村君は逢坂と竜児との関係を勝手に読み解いて言語化してしまうようなことはしない.大丈夫,と必要なだけの言葉と,必要なだけの保留があるように見える.安心したとか大丈夫だとか何度も交ぜてるあたりは,逢坂にさし向けるべき言葉をちゃんと選んで話しているようでもある.逢坂に対して贈るべき言葉というのはなくて,それがあるのだとすれば彼女らが電柱と戦う必要などないのであるが,さしあたって言えることがあるとすれば,北村君のように彼女らと関係し,また根拠もなく言葉に力のある人が,大丈夫,と言うことくらいではないか.

親が仕事に出ている間,姉弟がふたりでテレビを見て過ごした日々のこと.べつに会話とかなくても,たぶん,独りよりは良かったその退屈な夜のこと.それぞれの独りの夜が描かれなくて,二人のところから始まったから良かった.独りでテレビなんか見たくねぇ.竜児君とこにお泊まりしにゆきたい.

ところで「逢」という字を正しく呼んでやれないのが悔しいのですが.