終わらないアリスのお話

介錯「鍵姫物語 永久アリス輪舞曲」(1)-(3).ときに突き抜けてくる情念と,その周りに散りばめられたあほ可愛らしさがとても良かったです.アニメでは読まれることのなかったきらはの心の物語が明らかにされるのですが,読んだ人が赤面しちゃうくらいあの分厚い一冊分お兄ちゃんのことしか書き記されていないのでした,なんてのはきらはの本だけかと思ったら,作中で読まれちゃう分に関してはみんなそういう恥ずかしい本ばかりっぽくてね.まだ判んないけどキサちゃんのも多分そうで,本一冊分みっしり書き記されたラブレターを恋人同士や恋敵同士で奪い合ってるというたいへん乙女な話です.

須羽さんの小理屈が有人たちの前でそのまま小理屈らしく振る舞ってしまう様子がやたら時間を掛けて描かれてるところも好きです.須羽さん愛されてるよなぁ.

アリスマスター,は何やってんだか.僕が彼ら彼女らとの勝負に敗れたならそのとき僕はもう自分の物語を差し出しているのであって(そしてこのWebページのような場で衆目に曝されるのであって),相手の物語に飲み込まれるリスクを負わずして何が物語蒐集か.彼ら彼女らと対峙することなくして物語なんてあるものか.と,一蒐集家としてもの申したい(参考1).リデルはそこんとこ判ってるし,アリスマスターがどういうわけで今みたいな考えになってしまったかはまだよく判んないのだけど.

漫画版を読んだそもそもの動機はアニメ版を見ていろいろ考えたことの答え合わせのためでした.同じ宮崎なぎさ監督によるアニメ版D.C.の大きな特徴として,純一・さくら・音夢の三者の恋愛関係においてさくらにチャンスのないことをシリーズの冒頭から明らかにしている点が挙げられます(参考2,参考3).アニメ版永久アリスでも2話を見ていると早速きらはがありすに対して勝ち目がないように見えたので,この旗幟鮮明さは逆に言えば,先行した漫画版においてきらはにも勝ち目があることを示しているのではないかと予想されました.結論を言えばその通りで,有人・きらは・ありすの三者の恋愛模様にはまだぶれがあって勝ち目は誰にもありそうです.宮崎なぎさはアニメ版制作にあたっていつものメソッドで,つまり漫画版を読み込んだ上でエピソードの前後入れ替えや鍵となるアイテムを別の文脈で利用することによって(参考4),原作の見た目を残しつつ,短いシリーズで完結させるべくぶれの少ないストーリーに落とし込んでいるように見えます.今回鍵となるアイテムは第1話のチーズケーキで,ありすが買ってきたチーズケーキをきらはが食べるか食べないかで二人の関係が大きく違ったものとなっています.漫画版が食べる方で,アニメ版が食べない方ね.漫画版の二人の関係はおよそ良好で,少なくともアニメ版のようにキサちゃんから微妙と評されるようなものではないのです.アニメは漫画とぜんぜん違う話になるんだろうなぁ.

漫画版の話に戻ると,ぜんたい,きらはが可愛いと思います.幼い頃,お兄ちゃんがほしいと神様に願って,本当にお兄ちゃんがプレゼントされてしまったという場合の心境には,結構複雑なものがあるのではないかと想像されます.

疏水太郎

永久アリス#1と#2

ありすと有人以外は「終わらないアリス」に興味ないのに参戦してるという脱線ぶりが可笑しくて良いです.本気のことや大事なことは本筋から逸れたところにあるほうが普通っぽくて好き.

あれだけ派手な髪の色の世界で,有人ときらはの髪の色はやはり同系統である(参考)とか,もはや語り出すときりがない,というやつ.

疏水太郎

永久アリス#2(D.C.#25)

彼女らのままならなさが戦いへ直結する本気度を見ていると,中学生とは大変なものだと思えるのですが,たとえ打ち倒すべき敵と認めた相手であっても人の縁が出来てしまったなら争うことなく一緒に毎日を過ごせてしまう,きさちゃんの言葉を借りれば微妙な関係ということなんですが,僕は中学生の女の子を知らないのでそれは四十か五十の女が交わすような縁の持ちように見えて,そこでは悪縁も縁であって,ちょっと生々しい例ではありますが,おそらく母とは2,3のやりとりがあっただけで,しかも客観的に見るとそれは喧嘩だったのではと思える人がお通夜にわざわざ駆けつけてくれたというのが僕には不思議でした.先日僕が言った“深刻にならない”,というのは決して深刻でないはずはないのだけど,そこに別の道も開かれているというか,以下,別の言い方を探してみることにします.

僕らが父方の祖母とどうしてあまり会えなかったのか,それはついに父の口からは教えられることがなかったのですが,十年前,父方の実家へ帰ったお正月は僕にとっては最初で最後で,その帰り際に母が祖母を泣きながら抱きしめていた姿は,そんな母をそれまで見たことがなくて,一体そこにどれだけ難しいことが含まれていたのか今でも判らなくて,母もたぶん上手く言葉に出来ないんじゃないかと思います.

母がその祖母を憎んでいたということだけはまずないのですが,それにしてもD.C.第25話で音夢とさくらが抱き合うのを見るたびに,あの時僕が見た言葉にならない抱擁が思い出されるのです.抱き締めるというのは愛してるという気持ちに伴うだけじゃなくて,何か縁が極まってしまったときにも生じるのでしょうか.これは僕の想像に過ぎないのですが中学生の女の子というのはまだそこまで縁というものを芯に持たないので,長年の仇敵同士である音夢とさくらが抱き合うというのはゲーム版の話では有り得ない感じがするのですが,アニメ版の方では画面から伝わってくる何かすごい思い入れのような力でもって,中学生の女の子たちでもそこまで縁の極まることがあるのだと納得させられています.

永久アリスのオープニングアニメの良さは,冒頭で二度顔を見合わせるありすときらはの様子に集約されるのです.抱き締めるとまでは言わないでも,繋がっている,縁のある相手への処し方で,それは同じ男の子を好きになったお互いへの理解によるものというよりは,理解を前提としない何か破壊を妨げる原理が働いた結果であるように僕には見えます.

D.C.の後期エンディングアニメで音夢とさくらが手を繋いでいるという有り得なさもまた監督の宮崎なぎさの指定ではないかと思います.クレジットによると絵は田頭しのぶで演出が宮崎なぎさなんだけど.あと永久アリスのオープニングも絶対宮崎なぎさの手によるものだと思いましたが別のクレジットになってて,しかし,調べたらやっぱり宮崎なぎさの別名義でした(二宮ハルカ).うむ.

疏水太郎

わたしたちの田村くん(1)

人生は辛いことばかりです.だから「こなかな」同様,語り手を選ぶ話でね.身の回りの苦しいことをいろいろと連想させる話でしたが,田村くんがマンボ!とかあほをやってくれてるおかげでなんとかめげずに彼らの行く末を確かめることが出来たのでした.この話は語り手に恵まれていて,高浦くんとか田村くんの周りにいる男の子たちはみんな,類は友を呼ぶと言いますか,この話の語り手で有り得るような感じがして,例えば「高浦さんちの家族計画」は一見おまけっぽいですが,田村くん以外の語り手がいることによってその共通項が注目される,つまり彼ら男の子たちの語り口にはオーバーアクションが貫かれていて,それが強靱かつ可愛らしいということに気づかされるがため,この本にとって欠かせないです.

念のため贔屓を明らかにしておくと,高浦くんが好きだなぁ.

語呂について言えば「うさぎホームシック」というタイトルが大変お気に入りです.うさぎ年だし,僕.

疏水太郎

さくらの境(1)(2)

大学入り立ての頃,先輩に竹本泉を勧められたときには,男の子と女の子がなんかよく抱き合ってるのがいいんだと聞かされていたのですが,そのころの僕はそれがなぜいいことなのだかよく判ってませんでした.今にして思えば竹本泉的には昔からずっと,人はべたべたぺたぺたしていたいよね,ということであって,女の子同士に限らず一般に男の子同士であれこんな風にしていたいという話なのだと思われます.

それはただ当たり前のことであってほしいと望まれたのでした.家になんか帰りたくなくて毎週のようにお泊まりしていた頃のこと,僕はといえば二十歳を過ぎてもまだちゅーしたり一緒にお風呂入ったりしたくなる風に身体が出来ていなかったのでそれはしなかったにしても,友達の背中や肩にひよこみたいにぴったりとくっついて回っていたものでした.学部時代,人間らしい目にあった一番のことは,その頃,甘えさせてもらったことだったと思い出されます.

疏水太郎

リトルバスターズ

“四人の男の子が現れて,僕に手を差しのばしてくれたんだ.”
http://key.visualarts.gr.jp/newsoft/story.htm

四人の男の子だって!(なんか違うのも交じってるけど)
すごいドリームだ.救いを求めるよちよち歩きの情念が見た夢かしら? 呼吸が止まるわ.

うん,そういう過去を願うよね.四人といわずいっそ十二人くらい現れてほしいと思います.

疏水太郎

ちいさい人たちの話

永久アリス#1.きらはのすごいふくれっ面.中学1年生といえば小学生が下駄履いたようなもんですから,ぷくーっと変な顔してたらお兄ちゃんに嫌われちゃう,とかいう発想はないわけです.まったくいいお顔ですこと! 中学2年の有人君のほうは,ほっぺの代わりにアリスに対する想像や期待をふくらませて自分だけのそれを書いてしまう,未知のものについて自分だけのそれを作り上げてしまう,その真っ白な場所を埋めてゆく勢いはこの年頃ならではで,あの頃っていうのは知らないことを学ぶスピードよりもそれを想像するスピードのほうが速かったような気がします.

今のところ人に知られたら首を吊りたくなるような秘密を持ってる風でもないというのもいいです.早々にありすが有人へ事情を打ち明けるように,ちょっとした内緒話のレベルであってね.お互いのこと好きとか嫌いとか隠してなくて,有人がありすのこと気になっててありすが有人のこと気になってるのは互いにほとんど知れてるじゃない.ありすときらはの喧嘩もどちらかといえば有人が取り残されちゃう程度には彼女たち二人のほうが息は合っていてね.深刻にならないというのは良いです.ああつまりオープニングアニメの三人が幸福です.

ちょっぴりエッチであることについては,かつてセーラームーンSuperSではまる一話かけて女の子のプロフィールを紹介してから同じ目に遭わせていたねちっこさを思い出すと,そういう盛り上げをしないこちらは子供っぽいちょっとしたエッチで可愛らしく思われます.

疏水太郎

サナララ(最終回)

矢神由梨子.サナララ,という音の並びは一見無意味であったわけですが,椎名希未や三重野涼の話が寄って立つ無意味さ,いやつまり寄って立たないそれら,例えばよく知らない人と屋上で会ったとか靴紐が変な風に結ばれてたとかそういうことが彼ら彼女らにとってどうしてだか劇的に感じられたことに比べると,答え合わせが可能な意味のある音の並びでありました.コミュニケーションが成立することによるコミュニケーションがあっても良いのかもしれないっていう,それはおとぎの国の呪文ですか?

別れの挨拶が呪文でないわけはなくて,さよなら,という言葉はよくそんな風に捉えられていて,かつて,さよらな,と言った女の子も居ましたね,とか,なにかと喚起力の高い音の並びであることは間違いないと思われます.

それはそうとしてやはり,第1話と第3話のエピローグにおいてこの人たちが突き動かされる気持ちの,どこへも帰結し難いような様子が好みです.

サナララ
サナララ(2)
サナララ(3)

疏水太郎

ラノベ10質

ライトノベル読みに本当に聞いてみたい10の質問 Ver.1.5に答えてみました.

1.尊敬するライトノベル作家は?

ラノベのことが好きすぎてどうかなってしまってる作家さんという意味で,早見裕司.

2.あなたの人生に影響を与えたライトノベル作品は?

公野櫻子「シスター・プリンセス―お兄ちゃん大好き」.フィクションの女の子に対する接し方が相当変わったんじゃないかなぁ.

3.読んだけど生理的に受け付けなかった、どうしても好きになれなかった作品は?

生理的にということであれば,乙一のとある作品.文章のリズムがどうも.

4.最も優れたノベライズ作品は?

九頭竜郁流「北へ。いつか出会うあなたに・・・・・・」.男の子が出てこなくて,女の子同士が幸せそうに暮らしてるのが良いです.

5.あなたにとって優れたノベライズとはなんですか?

女の子を一冊の本にノベライズしたもの.僕もアリスロワイヤルに参加してノベライズされた女の子を集めたいですよ.

余談ですが,永久アリス輪舞曲は自分の「心の物語」とか臆面もなく言えちゃう彼ら彼女らの中学生っぽさがなんとも恥ずかしくてよろしいです.

6.ライトノベルに挿絵は必要だと思いますか?

登場する女の子自身によって描かれた絵が載ってたりするとなお良いですよね.

7.ライトノベルにあとがきは必要だと思いますか?

登場する女の子自身が書いてたり,女の子へのメールアドレスが載ってたり(早見裕司)すると一層良いですよね.

8.書店で知らない作家のライトノベルを買う時の一番の基準は?

もはやたいてい知らない作家です.それで,買うとすればタイトルとあらすじで選びます.あとはなるべく子供っぽいやつを.

9.おかゆまさき著『撲殺天使ドクロちゃん』について一言
(作品を知らなければ「知らない」と答えて下さい)

アニメのDVDを買って,少し見たけど僕はグロい表現に弱いので駄目でした.でも千葉紗子が楽しそうだったからいいや.

10.あなたにとってライトノベルとはなんですか?

鍵を手に,心のなかの物語を奪い合う戦い,みたいな.

青少年から生気を吸い取るつもりが,ときにこちらが吸い取られてしまうこともあったりするのです.

疏水太郎

学校の階段

ミッション系の高校だったためか掃除には厳しくて,するとそういう環境に過剰適応した一部の子供が,つまり僕のことですが,やたら掃除に気合いを入れるのでした.掃除をするうちに石の廊下を拭いてると気持ちがいいことに気づいてね,膝をついたり手で撫でたときの湿ったひんやりとした感じや人肌のような滑らかなテクスチャが良かったり,普段足の裏で踏んでる場所に別の部位で触れるのが不思議と落ち着いたり,好きだったな.掃除はともかく学校の廊下が嫌いな子供ってあまりいないんじゃないかしら.毎日歩く廊下の落書きや張り紙の破れや壊れた非常ボタンはお気に入りの風景になってて,学年が変わって別の廊下を通らねばならなくなったときのあの当初の違和感は,そういうところからくるんじゃないかな.それで「学校の階段」(櫂末高彰)では子供たちが今にも廊下にキスしそうな勢いで校内掃除してるのが良くってね.いつもはばたばた校内を走り回るのが彼らの部活ですが,外が暗い時間になると廊下の肌理をなでて,やさしく愛してやってる.

階段が優れた遊具であることは小さい頃にマンションや学校の階段を走り回った記憶が証明していると思われますが,もう少し言葉にしておくと,それは階層の違う世界(たとえば別の学年の廊下)へ侵入するおもしろさと,段差で汗をかくことの快楽,ヘアピンで目の回る感じなどがごっちゃになったものです.階段に限らず校内を走り回ることのおもしろさは侵入するところにあってね,たとえば階段部のメンバのなかで僕のお気に入りは天ヶ崎さんであって,なにせ彼女は校内ラリーの最短ルートとしてトイレの窓を抜ける道を開拓した人だから.

先週の日曜日のお昼,カレー屋で京都新聞を読んでたら京都駅の大階段駈け上がり大会なるものがあったことを伝えていました.2月19日付けの新聞です.大階段といえばガメラ3やネギま!の京都編やハプロケに登場し,アルティメットガールには出てこないというご存じJR京都駅の名所.ちょうど「学校の階段」を読み終えたところだったので巡り合わせを感じたのでした.気になったのが大階段の数が171段であると書かれていたことで,なんとなくカタログの引き写しに見えたので違うんじゃないかと思ってその後すぐ自分で調べに行きました.

結論から先に言いますと,頂上の展望スペース「大空広場」から大階段下の「室町小路広場」までの段数は199段で,171段というのは伊勢丹11階までの段数のことです.構成は次のとおり.

▼断面図: http://www.kyoto-station-building.co.jp/eventspace/main.html

▼段数の構成:
[大空広場]
14段
踊り場
14段
[11階] http://wjr-isetan.com/kyoto/floorguide/floor_11f.html
12段
踊り場
11段
[10階] http://wjr-isetan.com/kyoto/floorguide/floor_10f.html
12段
踊り場
11段
[9階] http://wjr-isetan.com/kyoto/floorguide/floor_9f.html
13段
踊り場
12段
[8階] http://wjr-isetan.com/kyoto/floorguide/floor_8f.html
13段
踊り場
12段
[7階] http://wjr-isetan.com/kyoto/floorguide/floor_7f.html
13段
踊り場
12段
[6階] http://wjr-isetan.com/kyoto/floorguide/floor_6f.html
13段
踊り場
12段
[5階] http://wjr-isetan.com/kyoto/floorguide/floor_5f.html
13段
踊り場
12段
[4階 : 室町小路広場] http://wjr-isetan.com/kyoto/floorguide/floor_4f.html

▼コース解説
 伊勢丹11階から大空広場までの特別階段はコースが斜めであり,また階段の幅が半分になって危ないので,上記駈け上がり大会では利用されていないということでしょう.また,9階から11階までの間は階段の真ん中に伊勢丹への入り口が開いているため,コースが二手に分かれています.

大会っていうのはどうも明るすぎて階段部とは正反対の位置にあります.中村ちづるさんが言うところの「コソコソやるのがお好きなようね」という悪口は正しいから悪口なのであって,屋上の人から見えない場所でごはん食べてる階段部の連中を見れば思い出されるのはやはり佐祐理さんと舞と祐一君がご飯食べてた階段のどん詰まりであって,ちづるさん同様Kanonでは生徒会であるところの久瀬君が言いそうなことでもあります.人のこない寂しい場所で隠れて集まんなきゃなんないそれを明るい活動であるとはちょっと呼べない.もちろん,人の活動は明るいものでなくてはならないということもまたないです.

そんなわけで,僕も日が暮れてから大階段を使って階段部が言うところのショットを計測しました.お天道様の下でやるもんじゃあるめぇ.あと広い階段を使うもんでもねぇ.実は大階段の脇にあるエスカレーターと並んで,3メートル程の幅で同じ段数の階段が併走しています.こちらの階段はよく出来ていて,室町小路広場から大空広場までまっすぐ上ることが出来るようになっています.コースは室町小路広場の一番西端の柱から,大空広場の最奥,ヘリポートのフェンスまで,登って降りての往復です.時計を持ってなかったので京都タワーのダイソーでキッチンタイマーを買ってきました.そして,よーい,どん.はじめは快調に一段飛ばしで登りましたが,三分の一にも満たないところでおっちゃん息切れ.足が上がらなくなってよろよろとフェンスまでたどり着きました.フェンスにタッチして下りは動かなくなった足に鞭を打ちつつ,転んで落ちないようにしながらなんとか.ひー.結果,登り2分27秒下り2分22秒の計4分49秒でした.挑戦者お待ちしております.

天ヶ崎さんのトイレで思い出しましたので,せっかくだから京都駅にある隠しトイレの位置についてお教えしたいと思います.京都駅の2階には改札内の他にトイレの案内がありません.実際は改札外にもひとつトイレがあるのですが,矢印などの誘導がないため気づかれにくいです.南北自由通路の駅ビルインフォメーション横にミスタードーナツとカフェデュモンドの並んでいるオープンカフェスペースがあって,実はこの奥にトイレがあるのです.お店で聞いた人かカフェの西端に座ったことのある人しか知らないんじゃないかなぁ,というわけで,京都駅の2階で大変なことになってしまった人は,今日の僕の言葉を思い出してください.いいですか,オープンカフェの奥です.

疏水太郎

リーディング

PS2版のCLANNADやりたいです.能登麻美子による第七官界彷徨の朗読を聴きたいというだけなのですが.

いっそ,そういう朗読CDがあると素敵だよね.あとは雁の童子とか,と書いてみて気づいたのだけど,僕の中で能登麻美子と遊佐未森は同じ変体少年声カテゴリに属するみたいです.さようなら,サンタマリア.

あと僕のためだけに眞空溶媒を朗読してほしい,とか今日はたいへん素朴な妄想がはずみます.いや王水はいけません,やっぱりいけません.死ぬよりしかたなかったでしょう.

いっそ岩波の緑帯右から左まで全部!とまで言い出すと,なんだかなぁ,もう,という感じではありますが.

疏水太郎

サナララ(3)

三重野涼.ある日,前の学校のクラスメートの,ほとんど話したことがなかった人の近況を聞いて,少しだけその人のことを思い出して,放課後の昇降口で自分の靴の紐がなぜだか堅く無茶苦茶に結ばれていて,脈絡のないその二つのことから,なぜだかたまらなく泣きたい気持ちになってしまうことがあったとき,一体そこからどんな物語が発想できるだろう,というお話.作中にあった賢治の授業のイメージを発展させるならばそれは「雁の童子」の境地であって,胸がせまって訳もわからず泣きたくなったり泣けなかったりするということは,何かと関係がありそうでいながら,その想像の手に確かな掴み所を渡さずかわしてゆくものであります.

三重野さんの正体について,彼女が夜の教室へ行きたがった時点で既に確信していた僕がいました.虫の知らせといいますか.

疏水太郎

サナララ(2)

高槻あゆみ.なんとまあ,可愛いお話でびっくりしました.恋してるときには二人だけの世界があるとよく言われるわけですが,本当にまわりの時間が止まって,自分たちだけが日々を歩んでいると感じられたとしたら,そういう現象に出会ってしまったとしたら,それは結果から遡って恋していると認められるのかも知れないです.恋する気持ちを認めるに当たって,同じ一日が何度もループする,という回数の話が持ち込まれるところも好きで,回数がただ重ねられるということには何のまともな意味もないのだけど,だからつまり運命的であると言うことが出来てね.

疏水太郎

ほっとする彼女たち

ToHeart2 #13.どうすればいいんだー,と悩んでいたところへ向こうから小牧さんかやってくるのが見えると,それだけでもうほっとしてしまいました.堤防で子供相手に途方に暮れていたら向こうから観鈴がやってくる,みたいな.

貴明もこのみも恋とかあまりよく理解できないままに,それで良しとして終わる.恋する気持ちを無理矢理咲かせないところが良いです.

疏水太郎

彼ら彼女らのヴァルハラ

最近の四葉が何してるかっていうと,狂王の試練場へ潜る毎日だったりします.残りのメンバは後衛がアイシア,カヤ,前衛がくりや,たもん,インデックス.職業は名前からだいたい想像がつくってもんですが,カヤ:ビショップとインデックス:僧侶だけは微妙かもしれません.四葉は将来ニンジャになるつもりでしたが,うっかり属性を中立にしてしまったことに後で気がつきました.ああ,そもそもこの子たちを悪には出来なかったのでね.一生盗賊は嫌だと言ってるので,サムライでやりなおすかも知れません.

みんな首を刎ねられてインデックスだけが地の底に残されたのだけど,リセットするよりも独りで帰らせてみたくなって,彼女,怖々,泣きべそかきながら地上まで帰ったとか,そんなお話もありました.

僕が絵や文のなかに四葉を描かなくなってから彼女はどこへ行ってしまったのだろうと思っていたのですが,ようやくここに見つけました.無名の冒険者に名前をつけるというときに昔仲良くしていた人たちは現れ出てきて,例えば戦いの饗宴のなかでずっと生きてゆくのでしょう.

そんな風に彼ら彼女らは神話的であって,人がその神々しさに対して深く心を寄せたりあやかったり(ときに貶めたり)する中で,例えば源義経や弘法大師のように津々浦々,脈絡なくどこにでも現れることの望まれる存在であると思われます.

疏水太郎

UG #4-#6

変身前後では白絹が一番恥ずかしがっていますのでつい普段から彼女が一番内気であるように思ってしまいがちですが,あれは恥ずかしいのが普通ですので,変身関係抜きにするとヴィヴィアンのほうが口数も少ないし煮え切らないのでシャイに見えます.彼氏彼女の件で誤解したまんまの白絹と誤解を解こうとするヴィヴィアンの二人の絡みでも,やっぱヴィヴィアンの切り出せないっぷりが目立ちますよね.いつもは間につぼみがいてズバッと解決しちゃうんだろうけど,そうさせないためかこの件では無理矢理つぼみが退場させられてる感があります.

話の結末としては,ヴィヴィアンは白絹に対してだけシャイであったのだろうなぁ,と想像できるところへたどり着いてね.そこでまた例のOPアニメーションへ戻ると,皆が走り出すところでヴィヴィアンが三人の一番うしろに立ち位置を取ろうとする様子が見えてくるのでした.

疏水太郎

それは宵闇の彼方から

女の子は三人並べば自ずから手を繋ぐように出来ています.

「女女女」

ほら,なんだか手と手を繋いでるみたいに見えるでしょ? おんなじように子供も三人並ぶと手が結びあわされます.

「子子子」

・・・ほらね.だけど,男はこうはゆかないの.

アルティメットガールのOPが気に入っています.つぼみが白絹の手を引っ張って,白絹がヴィヴィアンの手を引っ張って走り出してゆくところが好みです.本編の縮図,と言ってしまうとつまらないのですが,自分の身体については羞恥心に欠けているつぼみがヴィヴィアンの服の破れを気遣ったり盾になって白絹の裸を隠してやったりと他の娘さんの羞恥は守ってあげていたのが意外だったのでよく覚えていて,それでOPを見返すほどに,冒頭で白絹の頭をなでて手を取って走り出すつぼみの姿というのは,頼りになるものとして改めて納得されるのでした.UG#1-#3まで.AT-Xで見始めたらあまりに素敵な三人だったのでBOXを買ってしまいましたとさ.

あとはココロ図書館のOPを思い出して頂きたくて,こころを先頭に,いいな,あるとの三人が手を引いて歩いてゆく姿も印象的でした.さてここで人の胴体から腕が二本突き出ているのはどういうことかっていうと,仮に独りの人間を一枚の写真や一編のエピソードであるとして,左右を手で繋いで動かせば映画が生まれます.人間の身体っていうのは手を繋いで引いて歩けばそれだけで物語になるような形状をしていまして,例えば母が子の手を引き,大きくなった子が今度は母の手を引き,というような身体の大小から引き起こされる連動の中に,僕らが言葉を要するまでもなく了解されるそれが物語の身体性というやつです.

与太はともかくとして,手を繋ぐということが物語へ入ってゆくときに欠かせないものではないかということを,女の子たちが手を繋いで歩くのを見るとき,僕ら羨ましく見つめるものではないでしょうか.

疏水太郎

Once Upon A Time

TRPGで性愛について扱った経験はないです.むかしむかし,自分がそうであったためか恋や愛以前の人たちの話にしか興味は持てなかったわけで.とりわけ夢で会っただけの女の子であるとか,一緒に行動していたというだけの女の子に対して運命を感じることが有り得るのかということについて,いつも尋ねていたように思います.僕のセッションが,プレイヤーが僕の提示したその情景に対してどう感じたかを尋ねるインタビューの形式を持って進められたのは,僕自身が曖昧模糊として捉えていた事柄についてきっと他人にも聞いてみたかったのでしょう.

PTRPGについては水姫のことだからどこまでも踏み込んでゆくこと覚悟完了であると思います.音読するのとしないのとでは届く場所が違うよね.ここではやはりマスターがプレイヤーにその内面をインタビューするべきかと思われますが,男どもがプレイする限りにおいて行き着く先は「語り手の事情」のハノーヴァー卿の境地かも知れません.

あるいは,僕ら自身が「語り手」さんたちになってセッションをしましょう.わーい,僕,チッタ!

語り手の事情ゲームということで “Once Upon A Time”(ATLAS GAMES)を実家から持ってきましたが,この際,パッケージ裏のメッセージは少し簡単に過ぎるようです.曰く「This is a game for all ages – all you need are basic reading skills, a healthy imagination, and friends or family to enjoy playing with.」 一方で,語り手の屋敷の主人によると「語り手は視力を使って様々な状況に視点を定めて物語を紡ぐ.無数の世界の,無数の人間に視点を定めねばならないこともある.境界,例えば男と女のような,国家と国家の間のような,過去と未来のような,無数に存在する境界を行ったり来たりするには膨大なエネルギーが必要で,その性質も多種多様なのだ.」ということでね,例えば本書で語られたような妄想を扱うためのエネルギーをもたらすには,ざっくばらんな同類たちと屋敷のような閉じた場所が必要で,その閉じた人の輪を維持する仕掛けとして,僕らの場合は静かで狭い場所や夜という時間が必要になります.そして,TRPGの中で僕らは時にそれを満たしてきました.

木の股を見ても性的な想像をもよおすような healthy imagination を持った年頃の少年にとって,時と場所さえ揃えば Once Upon A Time のカードに示されるアイテムや事象は全て性的なものとして読み取って遊ぶことが出来るでしょう.僕にとってのPTRPGというのは,青臭かったりオヤジであったりするその年頃ごと(every age)の事情を語る装置のあり方を示唆するものでした.

疏水太郎