R.S.T. zero

▼ ここんところ,いい子ちゃんモードになる頻度が高い.年上の人が傍いるとつい優等生的なことを言って頑張ってしまうのだわな.言葉のモードが変わってしまうというのは気恥ずかしいものであって,音夢が学校でするようなよそゆきの裏モードには身もだえします.(2002/8/17)

シュウイ サクランボ リロン.なんか眠れないしさ.(2002/8/14)

ひどい言われようですね.

 ところで,「Rhetorical Sacrambo Theory」をタイトルとしているつもりはありません.タイトルなどという中心的なものは嫌いだから,それらしく見えるものが少なくとも3つはあるはずです.それぞれがそれぞれの好きなように呼んでくれるほうが望ましく思います.それに対して私が文句をつけることはありますが,相手をどういう風に呼ぶかということはまず迷って(迷ってくれて)なんぼではないでしょうか.私はそういう風に助平な人間です.

 だけど,自分が何を好いているかなんて難しくて判らないという人にだけは,「シュウジサクランボリロン」と呼び始めることをお薦めします.そういう難儀な人のことを,私は深く愛します.そして,このような文章の体質そのものがシュウジであり,それはまたチセやサクランボでもあるのです.(2002/8/13)


趣味を卒業することは有り得なくて,趣味をやめることとは即ち中退することであるに過ぎない.そういうことを,以前趣味とは何ぞやという話をしたOさんが言った.山中湖から帰る車中でのことである.私は趣味に終わりがないとは思わないので,名人伝の話を持ち出しながら趣味をいつか跡形なく忘れるのが理想だと返したら,Oさんは特別に極めた例としては有り得ると答え,後輩のTは不服そうだった.私やOさんは同級生に,俺はもう卒業したよ,なんて言われることへの怨念が背景にあるけれど,若いTにはまだ無いのかも知れない.趣味を勝ち取るために周囲と戦い続けてきた彼はまだ,別の怨念を抱いた闘士である.

自分の好きなものについて語れることが大切だとTは言う.Tよりもさらに若い人間が,何かを好きだと言いながらもそれについて熱く語れないことを彼は不満に思っている.○○への愛が足りん,という言葉は年寄りが若いもんによく言う言葉の最たるものではないだろうか.かくいう私もよく口にしたし,好きなものについて語れることこそが素晴らしいと信じて今まで生きてきた.だけど今は語らない人に語れと強要する気は起こらない.好きという気持ちは必ずしもそういうことではなかった.

高校のころ,好きな音楽のリストを見せ合うだけで嬉しかった.好きかイマイチかというだけで,感想はあまりいらなかった.しかし困ったことに,高校のクラスという同種族の住む世界ではなく,上から下までえらくばらばらな種族たちの住む世界へ来てしまって,趣味を見せるときに話で補足する必要が出てきた.私への質問に対して笑えるネタか納得のゆく答えを返し先方に気持ちよく帰って頂くことは,関西人の血に染み込んだ責務である.しかし,話すことばかりに血道を上げ,好きなことが判らなくのは本末転倒で,「ふわふわカタログ」のココアは確かに好きなものをカタログ程度の簡潔さで好きだと並べるばかりである.

「ふわふわカタログ」を10ページほど読み進めたところで,石田敦子の描線の素晴らしさを語るため末永に電話をした.いつもの流れでだいたい上のような感じのよく判らない話をしていたら,それはまさにふわふわカタログだと言われたので旅行後に続きを読んだ.ココアの悩みや悲しみはまさに私と同じものだ,と思う人は少なくないはずである.私もそうである.同時に私がコウ君にも共感するのは,ハーブの仕事が私の感覚から離れすぎているからであって,例えばアニメのキャラクターが好きだ,という気持ちとともに生きるならば,OLである庸子(そしてキミに会いに行く)の生き方のほうがより近しく理想に思う.ただ,どちらを近しく思うにせよ,仕事を誰かに引け目を感じることなく行っていれば,キャラクターについて好きだという気持ちは暴走して私を轢き殺すことなく私に従ってくれるというのが,ここしばらくの間,胸に留めていることである.(2002/8/5)

よく判る文章を用いて煩う人を見ると,その人の煩いを疑う.普通は,よく判る文章を用いることができないことをもって,煩うのではないか.私が生来,不明であることを恥じ続けた時間を否定しないことによって,宵の明星と明けの明星の意義はやはり同じではなく,またそれは普通であり平明でなくてはならない.私は筋のよく通る文章に対して恥じたり敵意を感じたりし,そうした私の不明さを用いて日記を綴ってきた.自らの恥と敵意によって,潰れてしまわない限りにおいては.次に立ち上がるとき自分がどちらの側に居たいと願うのか,いつも判らない.ああ,つまり,不明なのか.(2002/8/1)

理由は掴みとれない.だけど,出来る限り言葉にしてみたい.およそこの十年間の話だと思うのだけれど,私は人並みくらいにキャラクターを好きになりたかった.かつて,話の流れや作品の周囲の出来事に興味を持つことはあっても,キャラクターを中心に物事を考えることはできなかった.キャラクターを愛することのできる人がうらやましかった.特に女の子のキャラクターを好きになりたかった.あと,男性らしいエロを知りたかった.そして望みが一通り叶って,これからどうすればいいのか判らなくなった.

好きだなんて,ただ切ないばかりじゃないか. (2002/7/29)

お知らせ:私の参加している夏コミ本は残念ながら落ちました.当日は試供版しか用意できないとのことですので,あらかじめご了承ください.(2002/7/28)

しばらくお休みです.またいつもみたいに平気な顔して帰ってきます.(2002/7/27)

シュウジサクランボリロン

悲しくて,眠れなくなった.よく判らない.
(理由のある悲しさなんかない.)
もうじき始発で関西へ行くから,このまま起きていることにした.

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