星夜譚
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●『星辰の書』
(レイアン・ムゥセルク著(注1))より抜粋

 伝承に曰く、はじめに九つあった源初の存在の内、七つは七柱のスィーラに、残る二つは、太古(混沌)の存在(マウ・レ)と呼ばれるものになった、と。

 ユルセルームの天に輝くもののうち、太陽と月とはユルセルームに属するものであるが、星はそれらと全く異なり、混沌の存在のなかにあるものであると言える。このことは、太古、スィーラ降臨の前夜が星々のまたたくだけの静かな夜であったと各地の伝説に残されていることから容易にうかがえる。すなわち、星々は、スィーラ分化以前に存在したのである。

 星界とは天界・地界・霊界とおなじく概念の産物であり、混じりあうすべての色に満たされた、混沌の海である。われわれの見る「星」は、その混沌の中で唯一、ユルセルームの言葉ある種族と共鳴し、秩序だって現れるものなのだ。

 「星」は、秩序の中に生きるわれわれユルセルームの言葉ある種族が、混沌の中に秩序を見いだそうとして生まれ出づるので、その見方によって、姿や位置を違えるものである。このことが「星」によって、われわれの運命を占うことができる由縁である。

 星の見える様が、人やその社会の鏡に過ぎないことを、占星術者は忘れてはならない。星の位置はけしてあらかじめ決定された運命を示すものではなく、今の世界のある断面を示すものであり、占星術者はそこから予想される未来を告げることができるだけなのである。(注2

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(注1)レイアン・ムゥセルク
 聖王にして統一王のイルク・セイリオンに仕えたファライゾンの宰相。エンダルノウムに座す統一王に代わって、執政ラエンダ・ノウスンとともにファライゾンの政治を司った。イルク・セイリオンを能く助けたことで名高い父、サイナ・ムゥセルクと同じく、星影拾遺である。

(注2)大暗黒期の暦学者アスマ・インジークは天体観測によって大暗黒期の終わりを予言したといわれている。このことが、レイアンのいう占星術の姿勢と、インジーク方位学との関係を想像させる。

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●『星影拾遺』 ホシカゲシュウイ


 星影拾遺とは、世界の断片を拾うもの、
 星を能く見る者である。


 彼らは余人には見ることができぬ星をも見ることが出来たので、それだけ星占を得意としたといい、花翼典範に曰く、その能を生かして聖王を補佐する者とされている。レイアン・ムゥセルクというイニアの花の時代後期の星影拾遺が、自らの力について多くを書き残しているが、そこから推測する限りでは「星影拾遺」は星と心を通わすことによって、その「余人に見えぬ星」を見るということである。そしてそれは、星界に彼だけの「窓」を開き、混沌の中、彼にしか見えぬ星を見出すことに等しいという。

 人の見られないものを見るだけに「騙り」と呼ばれることもあったようで、彼の父であるかのサイナ・ムゥセルクも、イルク・セイリオンと出会うまでは不遇であったと、彼は書き残している。

 統一王朝初期には、聖王を助け、その過失を諌める役職に『拾遺』というものがあったが、これは聖王が自らの意志のみで選ぶ者であり、花翼典範には記されなかった。後にイルク・セイリオンの手で『星影拾遺』へと形を変え、花翼典範に記されることとなったが、そこに残された非公式の身分である『拾遺』の名に不快を示す学者は少なくなかったようである。『星影拾遺』には最後の「聖王」であるガザル・ディホールに仕えた者がいるとされるが、それ以後のファライゾンに星を能く見る力を持った者は現れていない。『星影拾遺』は統一王朝の面影を強く残すファライゾンにおいて数少ない、失われた役職の一つである。
 
 ユルセルームの夜天は我らの世界と同じように一日で仮想の天球を一巡りし、また季節とともに、その並びを変えるものである。人の世の鏡たる星界が何故そのような幾何運動を行うのか、その理由に関しては、我らの世界に住む、星に魅入られし人種に伝わる次の談話を引用することにする。


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寿琅啓吾 <soga@summer.nifty.jp>