星夜譚
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 「スタア・トポグラファー」

 今晩は。星の綺麗な夜ですね。

 星ばかりでなく月もまたよいですな。

 貴方、月なんてものが好きなのですか。ほら、見てご覧なさい。月は相も変わらず、其処にいます。円の動きはとりもなおさず、不動に同じ。星は毎年同じ処を廻るように見えて、その実、何千年、何万年と経つうち、我々の気付かぬうちにその位置を変えています。この螺旋の動きにこそ、私は神秘を感じるのです。

 私はそのペテンが嫌いでね。月は天に決められた道筋に従いながらも、その満ち欠けで自分を見せる。これぞ人の生きる道を示すものではないかね。

 それこそペテンではありませんか。たとえばあの鼓なす星の並びは、真の宇宙地図が、この時、この場所に投影されたものに過ぎません。Siriusから眺めては、また違った断面を示すでしょう。移ろう振りをして変わらぬものを愛するよりは、移ろうものを微小ベクトルで切り取った中に、一期一会の美しさを見出したいものです。それにしても、人は何故、月に魂を引かれるものなのでしょうか。

 太陽と較べ、控えめなところがよいだろう。人には焼けた魂をゆっくりと冷ます時間が必要なのだ。それには月の光を浴びるのが一等だ。やくざな星の光ではどうしようもない。

 それならば、星の方がいっそう控えめです。だいたいやくざものなのは人のほうで、月光を浴びせられるに甘んじています。星の世界は、こちらから近づこうとするなら、いくらでも安らぎを与えてくれるというのに。

 君ならば、lunatic というものに興味があるのではないか。

 永遠の不滅が生み出すものよりも、星の生生流転に惹かれます。山が消え、街が消え、人が消える瞬間はなかなかお目にかかることが出来ないのですが、こうして空を眺めたならば、幾千の星が砕け、幾千の星が生まれるところを一目でみることができるのです。

 君は宇宙的スパンで物事を見ているようだが、それならば、月も永遠でなくいずれ消滅するものではないか。

 私は、これまで積み重ねられてきた時と、今この瞬間に重ねられている時を感じ、それをもとに語ることしかできません。歴史の中で星の移ろうことは証明されていますが、月の砕かれた話は聞いたことがありません。ただ、距離に関して宇宙的なスパンをもつのは認められてもよいのではないでしょうか。魂はいま、この瞬間、月面にあってもよいでしょうし、Achernar にあってもよいでしょう。


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寿琅啓吾 <soga@summer.nifty.jp>