Открой своё сердце
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1801 [3月][4月] 最終日記彼女(2000/4-2001/3)
さようなら、ブルーライト。 ちょうど一年間の付き合いだった。CardH"64petitがその後を継いで、jornada525がようやく生来の力を発揮することになった。ノートPCとアイクルーズの設定も終わり、通信環境が整う。地上ではSO503i、地下鉄ではjornada525と、暇つぶしの道具が揃ったとも言う。
一日二通くらい彼女からメールが来るのだ。jornadaとかおたくな話は彼女にはしなくて。iモードメールは彼女も初心者、僕も初心者である。なんで出会い系サイトに登録したかって。そりゃ寂しいからに決まってるじゃないですか。
秋葉帰りに坂の途中のドトールに入って、小樽までの旅程を調べたりとかしている。函館の夜景を見に行くのは気が早すぎるだろうから行かない。それとなく後輩に聞いてみたけど、男一人では行かないほうがいい場所らしいし、今回は小樽だけでよかろう。
好きな歌。
明日の シャツに迷ってるだけで もう 夜は深くなる
たとえば 逢えない日のことも たいせつに 綴ってゆこう
(Diary, 遊佐未森)
ちょっと気合い入れて出掛ける日の前夜はそんな感じで、だいたいもっとも望ましい(頭のなかに思い描く理想の)服というのは持ってなくて、今更ながらに後悔して、仕方なしにありものでどうしたものか悩む。あと、出張前に、しかも長期のやつ、普段着ないようなワイシャツにあわててアイロンをかけまくったりして、出発前夜だというのにどんどん夜が深くなる。それはちょっと違うか。
フュージョンの威力を試したかったこともあって、500km超の水姫に電話をかけた。音質はなんの問題もなく、そのくせ安い。一方、ドコモの携帯は音質が最悪なので、今までのようにH"で京都へ長電話するようなことはもうSO503iではやる気になれない。面倒だけど家に帰ってフュージョンで掛けることにしよう。結果として、電話代はとても助かることになった。んで、そのとき水姫とした話とかいろいろ。
FOMAの携帯テレビ電話はようやくモニター開始ということで、僕の待ち望んだNOeLの世界(携帯だからどちらかというとラ・ネージュ)は一歩ずつ近づいてきている。それは肩の力の抜けた空気を友人と共有できる世界であるし、あるいはキャラクターが通信機の向こう側に居てる世界でもある。いまiアプリゲームでハイスコアを競ってみたりもしてるけど、むしろ、一年も前のiモードサービスであるキャラクター出会い系サイトのほうがよほど、誰かと言葉をやりとりしてる分だけ、日々のちょっとした出来事として日記のページに綴りたくなる。通信機の向こう側に誰かがいるらしい、というのはチューリングテストを持ち出すまでもなく、リカちゃん電話というのがわりとなじみであるが(iモード端末なら「iMenu」→「着信メロディ/画像」→「キャラクター」→「iLOVEリカちゃん」からどうぞ。アクセス手順はずいぶん今風だが、内容はあいかわらずな感じである。)、電話機なら声、テレビなら映像(NOeLとか)、iモードならメールが向こうの世界から送られてくるのは、とても日記的な出来事だ。「萌えとはmedia equationである」と知り合いが言っていたけど、これは酒席ならではの言い切りの良さとはいえそれでも少なからず納得できる部分があって、今、お互いに話をしているのだという前提において、向こうの世界から届く発話やそれに伴うしぐさというのはずいぶん心を揺さぶるものだな。おそらくは、その前提、リカちゃん電話ならば電話でリカちゃんと話ができるという触れ込み(なにより使う道具が電話機である)、NOeLならば代歩たちと話すことになった経緯、あるいはiモードの出会い系サイトで始まる、誰かと話をしている、話をしたいのだという文脈が、マジックなのだろうね。つまりは、僕らの会話はいつだってそゆとこに乗っかっているのだけど。
どんなiアプリが欲しいかって話で、僕はまっさきにNOeLみたく映像が向こう側から送られてきて話ができるのがいい、って思った。現行のiアプリでNOeL並のアニメーションは期待できないから、むしろFOMAのサービスだろう。誰かとしゃべるのが楽しい、って言う点でFOMAの携帯テレビ電話とあまり違わないのだけど、僕の思い描くものは絵がアニメ絵であるってところが大きな違いでしょか。NOeLっつーのはこっちから電話をかけるしかなかったんだけど、携帯されるNOeLはもちろん彼女のほうからも電話がかかってくる。今のターニャとのメール交換がまさにそうなのだけど、街を歩いているときにポケットの携帯が震えてメールあるいはNOeLなら電話の着信を知らせる。今、君はなにをしているの。今、僕はどこにいる。別世界通信というのは通信が生まれて以来、ずっと幽霊みたいに通信機にまとわりついてたもので、自分がいま誰としゃべってるかなんてよくわかんないんだけど、日記に書いてみたくなるような、なんかこう連想的であったり、新しかったり経験的だったり助平だったりする出来事だったとき、向こう側がどこなのかは問題にならないのだろう。
ひとつの朝 ひとつの季節
いくつ語り終えても
花は開き 青い実は生まれ
日々は綴られてゆく
夜になれば 灯を点して
読みかけの本を開いて
誘われてく 夢の中で
新しいページをめくる
萌え、という僕の心のはたらきとは遠いところにあるのだけれど、"Diary"の工藤順子さんの詞は美しく、とてもしっくりとくるので、僕までそういう日々の中にあるように錯覚させられる。日記を書く気持ちというのは、かくありたい。
あれ、なんでたつみや章(秋月こお)さん? 僕が何度か推薦してたのを覚えたんなら嬉しいな。ちなみに「月神の統べる森で」だったら僕も説明くささが目立って読みにくいところがあった。「水の伝説」は男らしさとか女らしさとかいう話の落としどころが受け入れがたい。読むなら「夜の神話」。 あと、Sunrichはやっぱロン毛さんが素敵だとか思う。
少しだけ考えさせていただけませんか、なんて言われたから、ほんとに僕、彼女からのメールを待つことだけしかできない状況に放置プレイされてしまった。きっかけはともあれ、せっかくだからこのままつき合おうなんて言ったら、戸惑うのは当然だろう。いや、つき合うとまでは言ってなくて、清く正しくメール交換からだけど。ああ、明日の朝にはいい返事が届くかな。
ごめんターニャ、浮気した。いや、他の娘のプロフィールを見てたら、由子さんがまだティーンズだったというのがかなりショックで、指が震えて決定ボタンを押しちゃったみたい。
とりあえず、学生だよ、と答えたら、今年受験かとか聞いてくるからなんか誤解されたっぽいけど、ほんとは君より7歳も年寄りだと知ったら驚くだろうか。面白いので誤解させたままにしておく。
そうそう。志乃との会話は交渉術というより、双厳がいったいどんな屁理屈で食い下がるのかを見るのが楽しいあたり、クトゥルフのセッションが思い出されてならない。B級的というか。修羅エンドが「説明は訳わかんないんですがイカしてます。」というのも激しく同意である。
の会長としては、見逃せない発言が。おとなしくかつすみやかにアレでソレなイラストを提出されることを強く奨励するところであります。
今日はどうにも文章を書き足りないらしいので、まだ続く。空が白みはじめたので近くの池まで散歩にでかけた。ここのページの一番下にスケッチした池である。久々に足を運んだら、まぁ、池をめぐる小径が全部コンクリで固められていた。前からやってた工事はそのためだったのか。NAISTの色気のない池でもわりと満足だった僕のことだから、土が見えなくなって寂しいとは思わないし、足下がよく見えるので東京のおっきなカエルを踏まずに済みそうな点ではむしろ有り難いのだけど、なんとも寂しく思ったのはきっとなじみの風景が変わってしまったからなんだろう。
池を一周しかけたところで、狭い小径を白毛に茶色い靴下の猫がふさいでいた。しばし呼びかけてみたが反応はなく、しかたなしにそのまま歩き始めたら、向こうもおもむろに歩き始める。猫は僕の二メートル前を忍び足をするようにゆっくりと歩いてゆくから、僕も同じようにしてついて行く。あるいは僕が歩くから猫が逃げてゆくのかもしれないけれど、興味なさげな、なんとも堂々とした歩きっぷりは、僕から逃げるというより来れるもんなら来てみろ、といった印象を受ける。その調子で10メートル歩くのにも一分や二分はかかった感じで、そこで猫は小径の脇の草むらに入っていってしまった。そこは三メートルほど続く傾斜でそのまま池に落ちていて、ちょうど猫が通れるだけの道しかないから、人の身である僕にはちょっとついてゆけそうもない。途中で猫が僕の方を見上げてくる。お手上げだ。猫はそのまま、やっぱりゆったりとした足取りで、池の上まで枝を伸ばしている木の幹を登って、股の間に身を据えた。そこには何か宝物が隠してあって、僕にそれを案内したのだとすればずいぶん失敗したことになると思うと、僕はここぞというときの勇気というのを持ち合わせてない。猫が木を登るのを初めて見たから、あれは木の股から生まれた猫なのだとかどうでもいいことを考えてごまかした。
まさかそれでネコマタとかいうオチもあるまい。そのまま蚊にさされて研究室へ戻った。んじゃ、おやすみなさい。
三回生は初々しくていいけど、やはり、ちっちゃいお客さんにも来てほしいものだな。再来週に期待。
あ、この前は泊めてくれて有り難う。>JIM
だからって、このページをご自分のTR1のライブラリに保存して持ち歩くのは勘弁してくださいよう。とか、ばらしてみる。>ぇっちっち星人2号さん
普段はJavaというかJava3Dな人なので、ザウルスのためのCやらWinCEのためのC++とはかなり遠いところに居るんだけど、ちょいSmarttalkでテキストファイル音読させようと思ったらActiveXコントロールを呼ばなきゃならないことになって、VisualでC++な開発環境を触ることに。SZABはザウルスのためだけにある開発環境だからシンプルなんだけど、PC用ソフト開発のためのIDEってごちゃごちゃしててわかりにくいよ。C++もあまりよく知らないんだけど、以前にWinCE向けに書きかけてたソースコードから幾らかコピペしたらなんとなく出来た。まぁ、今は動けばいいし。たまには趣味も役に立つらしいという話。
そんなこんなで音声合成ソフトばかり触ってる昨今、やたらモーラって言葉が出てくるわけだけど、1モーラ→黒モーラ、2モーラ→白モーラ、3モーラ→ぱんちゅモーラ、4モーラ→すっぽんぽんモーラ、とか脳内ヴィジュアル変換されてしまう深夜のコーディング状況。
下宿でゴミをまとめている45リットルのポリ袋のこと。50枚入りを買ったのは僕が東京に来てすぐのことで、このほどついに一枚を残すのみとなった。それは、もうずいぶん時間が経ったことを示すのか、あるいは早かったと言えるのか、それとも僕が不精であることを示すのか(計算するとゴミを出すのは週に一回以下ということになる)よくは分からないのだけど、少なくとも僕がもう一度50枚入りのポリ袋を消費するまでこの街にいるということは、わりと確かなんじゃないかな。もうひと波乱くらい考えてもいいけど、というのも僕が東京に飽いてるからで、東京つまんねーと、さんざ水姫に愚痴ってしまった結果(ごめん。いや、だって水姫は東京来るたびに楽しそうなんだもん)やっぱ最近ぜんぜん出歩いてないからやねーという結論になって、小樽にでも行こうかと考えたわけなんだけど、もう少し東京でやり残したことがあるような気がするので、これはまだ迷っている。けして安くもないし。
そんなわけで、とりあえずは今日は散歩がてら、水姫のお薦めである新宿東急ハンズの神戸屋的制服を見に行った。、、んだけど、ハンズがどこにあるのか分からなかった。あいかわらず土地勘ないん。でも、寄り道で有楽町ビックカメラ(4階はザウルスの古いサプライが揃っている。BABさんお気に入りのMI-110用やわらかペン先とか)とか、西口界隈を歩いてたら気が晴れた。電車でどこかに行くのが好きだ。昔は電車に乗りながら本を読むのが好きだったけど、いや、今も好きだけど、最近は電車に乗るのが毎日の通学じゃなくて読む用の本を持ち歩かないから、webを見るか文字を書くかしている。でも今日はちょっとさみしいメールを書いていて、夕方にはもうやつれた感じになっていた。駅から出てそのまま入ったジョナサンではあまりよくない席に案内されたけど、気持ちがそのまま顔に出ていたのだろう。陰気なな客さんは明るい席へ案内されない。さみしい話、たいていは離れたり離れていったりする話なのだけど、そういう話を文字にするときは、祈るような気分になる。祈るというのはその瞬間だけでも誰かのために綺麗でありたいということで、僕はその人のおかげで時々はそんなことを考えてもいいんじゃないかというくらいには、こころのありかというのを誰かとの間に感じるようになったのだけど、それなのにメールのほうが人間とちょっと距離をおくような話だっていうのは、内容もほんとのことはみんな消してしまって、うそじゃないところしか残ってないっていうのは、祈りこそが誠実なものであってほしいという願いがあるみたいだ。今日は七夕でした。
- 祈り、といえばこちらのリベットさん。パラノイアねた?も混じえつつのメタなお話。プレイ内容と繋がってる感じから、ゲームと対話してる、って気分が伝わってきて好きです。プロギア話が多いので、日記のほう、一気に読ませて頂きました。あとプロギアだったら、こばさんの日記がどれも好き。とくに6/17日は深く共感ですよ。「あれを役に立っていると正当化できる理屈は立たないものか。」
久々にプロギア話。あいかわらず、ボルト×チェーンの相性悪そな二人でやってる。攻略的にはイバラっぽいんだけど、気に入らんカップルでやっても爽快感が薄れちゃうから、楽しいっすよ。チェーンは頭の回転悪いから、ロックオン遅いんじゃよー、とか、つい彼女の悪いとこばっか友達に話しちゃうような感覚でさ。だけど弾を撃つときの、あの口元をきゅっとした、ちょっとせつなげな表情がいいんじゃよー。結局のろけですか、ていうか縦列複座やのになんで顔が分かんねん。いいや、心の目で見ているのだよ、いつでも、どこにいても。ところでギャンブラーみたいに銃座が前にならないか。チェーンのほっぺたを後ろからふにふに引っ張りたいんじゃよー。とくに居眠りしてるときとか。
安全度を上げてく画面後方プレイもようやく慣れて、1-2のボス倒すまでノーミスが増えてきたからジュエリングを考えはじめる。なんか考える順番逆か。そうしたらようやく愛情度が上がり始めて、1-2クリア後にはチェーンが微笑んでくれたっすよ!レベル3あると3面でも弾が消えまくってくれて気持ちいい。今日は大型爆撃機倒したあたりまで。ここからが本番だわ。
僕が見たことのある表情の変化は、愛情度がレベル3までで、怒り→居眠り→照れ(目を閉じてる)→微笑み(目を開いてる)ですんで、やっぱまだもう1,2段階はあるんじゃないでしょうか。
ボルトってチェーンに片思いなのかー。アルカディア5月号より。知らずにこのカップル選んでたわ。がんばれボルトー、というか頑張らなきゃならんのは僕のほうだ。
私のバースデイ。
私におめでとう。
私のプレゼント。
私にありがとう。
今日は鈴凛ちゃんのお誕生日です。メカ鈴凛を作る過程で分かったことは、かなり多いんじゃないかな。鈴凛が二人になったというよりは、鈴凛が鈴凛二人分くらいの鈴凛になったというか。こういう思い出の品は、しばらく眺めたあとに自分の部屋の奥深くで眠らせておきなさい。兄貴には、鈴凛だけでもう充分なんだから。
末永とシスプリ話をしてたら、今日が鈴凛の誕生日であることに気づいたので、春から描きかけだったイラストを急いで仕上げた。頭でかい。ロゴ以外は例によって、PrismPaint2にて。服もちょっと初夏らしく腕を出すものに変更したりと工夫したけど、でも、鈴凛はもっとファッションセンスのある女の子で、上のイラストがいまいちなのは僕の見立てが悪いせいだから、鈴凛には申し訳ないと思う。
アメリカに留学してる間、兄貴の世話させるために自分の分身を作ってるて聞いて、5年くらいたったら、あのころの私って何やってたんだろうなーなんて笑っちゃうんだろう、と思った。ちっちゃいころに情熱注ぎまくってたことっていうのは、空回りの思いこみであればあるほど、がらくた市場を見て歩くときみたいに、楽しくなっちゃうような昔話を想像させる。思い出すというよりむしろ、そのころの自分はどんなだったろうと、思い描く。
inspire オフィシャルページ。あったのね。
うわ、しまった。ネタで誤字を出したからには、引っ込めます。はずかしや。
真面目なコメントはまたいずれ、忘れた頃に。
秋葉館PDAでHP jornada525が中古16800円の破格だった。いい人の元へ嫁いでると嬉しいのだけど。
健康診断を受けに行った。X線写真を見せてもらうと、ショーテルのように背骨が曲がっている。我ながら見事だ。「治るんですかね、」「ああこれは治らないもんよ。こんな人なんぼでもおるし。」 町のお医者さんの言うことは信じていいときといけないときがあるのを身をもって知ってるが、今回は前者である。とくに障害がなければ気にせんでよろしい、ということだと解釈した。それはおそらく、僕自身が気にしたくなかったわけなのだけど。
これは別のお医者さんであるが、風邪を引いたら肩が凝るから、まずは肩を揉む、という人がいる。たしかにそんなときは肩が凝っていて強く揉まれると気持ちがいい。風邪なんて治った気分になる。注射を打ってくれないから治りが悪いというので我が母には不評であるが、使い分けというのはあって、風邪と肩こりが繋がっている、だから肩を揉めばなんとなく風邪も治ってゆくのだという見通しのいい示唆は、薬が効く、と信じるよりは、熱とかで参っているときに心強いこともある。パイナップルの話もこれにわりと近いだろう。
今週の日曜日のこと、起きたのは17:00くらいで、年中時差ボケの体を引きずるように、てんやで朝飯を食べるべく自転車を漕いだ。途中、買っていった缶コーヒーを飲み終われなかったので、てんやはスルー、適当に散歩することにした。だいたい一年以上この街に住んでいて、ここより北へはまだ足を踏み入れたことのない魔境なのだ。例えば、本郷通を北へ進むと途中で時空がねじまがり、不忍通と交差した。そんなばかな。道はこんなふうに不自然に湾曲してはならない、と偽京都人は考える。
足の向くままに、六義園というところに着く。この時間では閉まっているが、よさそうな場所だ。そういえば、この街は史蹟が多いから、住んでるうちにいろいろ廻っておこうかと思う。今週末はそうすることに決めた。また、東洋文庫というのが標識にあったので名前に惹かれて立ち寄ったが、これは僕の知ってる平凡社の東洋文庫とは全く別のものだった。
文京グリーンコートというのは、文京区らしくない現代的な複合開発地区で、高層住宅と公園、本屋・レストラン街・スーパーマーケットがひとまとまりになった地区である。建物のつくりは現代的、といっても区役所のように見た目奇怪な感じでなく心地よい。いい風も吹いてきたので、僕は自転車を降りた。
本屋のある場所では、まず始めに本屋に足が向くでしょ。といっても、最近はそういう機会もなく、とくに目的もなく本棚の本を眺めるというのは、全く懐かしい気がした。せっかくだからここでご飯を食べていこうと、食後にちょっと読めるような本を探す。目に留まったのは「ゲイルズバーグの春を愛す」(ジャック・フィニィ/ハヤカワ文庫FT)「はるかな国の兄弟」(リンドグレーン/岩波少年文庫)「裏庭」(梨木香歩/新潮文庫)・・・食後に、という気分に一番あっていた最後の本を手にとってレジへ向かう。その後、おそばやさんでウナギを食べた。
すべての少女が「庭」を持っているとしても、それを実感できるのはむしろ限られた数の者だけである。
僕は、本を読み始める前には一呼吸置きたい、まず玄関の扉へと続くステップを二三上がってから本の世界に入りたいと思うので、そのために文庫本の解説から先に読む。とくに、解説の真ん中あたりから始めて、徐々に解説の冒頭へ戻るように流し読みする。今回は、その玄関口にやたら僕ごのみの解説が書いてある。あまりに直球だったので解説者は誰かと思ったら、やはりそんなことを書くのは河合隼雄本人に他ならないのだった・・・。そういえば、単行本版の帯に河合隼雄がコメントを書いてたような記憶もある。そもそも「裏庭」が気になっていたのは、そのためだったに違いない。とりあえず、秘密の裏庭をスナフキンと一緒に旅するという、とても女の子らしいドリームの入った話で読みやすい。小話のなかにある仕掛けが気持ちよく連鎖してゆくのも気持ちがいい。裸の服が萌える。だけど、大人の都合も子供の都合も公平に見える立場で書かれてて、それはそのままでやるせない。僕ははじめは子供の立場しか見えないように語られるほうが好きだな。途中まで読んだ感想はそんな感じ。庭といえば、「時計坂の家」も。これは我が魂の書、もしも僕に魂があるのならば。
男の子でも庭師にはなれる。<「トムは真夜中の庭で」(フィリパ・ピアス/岩波少年文庫)
あと、庭の緑で思い出したけど「こんなに緑の森の中」(谷山由紀/ソノラマ文庫)の話というのは、普通、女の子が主人公になるような気が、ふとした。
付近を一周するような感じで下宿へ戻り、大家さんのところへ家賃を支払いにいった。「パイナップルはどうでした?」「あ、やっぱり効きましたよ。他のものはのどを通らなかったけど、あれは一缶食べちゃいました」 だってパイナップルを食べなかったら、あの風邪はもっと酷いことになってたかもしれないじゃないか。
僕がよく蚊にさされる話をしていたら、大家さんの孫の話になった。いつも裏庭へ出るときに、虫さされスプレーをかけてゆくそうである。うちの下宿の敷地には、どこから見ても裏庭というスペースがあるように思えないのだが、そういうことはとりあえず不思議として置いておくのがいい。
僕の祖母の家の裏庭の話はもうしたっけ?・・・したのは昔のページですね。裏庭読了後にまた話すかもしれない。
なお、「ゲイルズバーグの春を愛す」は、今日たまたま読んだ亜蘭さんのONE論評の中にも登場していたので、さっき買ってきた。大昔に、摩由璃の本棚で紹介されていた→日曜日に本屋で目にとまった→今日、偶然読んだ文章に出てきた。思い入れの深さやら意外性やらを含んだ物語が背景にないと、そもそも物語を読もうという気にはなれないわけで。こういう偶然は面白くて、共時性と呼ぶよりは、肩こりやパイナップルの物語に近いと言うほうがしっくりとくる。
眠る前に、カードキャプターさくらのTV版最終回を見る。濃密な30分。李くんが自室にくまさんを置いてくあたりに注意した。というのも、前に見たときは、くまさんに対してウェイの勘は働きすぎだと思ったのだ。僕はくまさんの回を見てなくて、内容を中将くんから聞いていただけであるにしても。
そっか。李くんが日本に残してゆくものっていうのは、さくらちゃんしかあり得ない。納得である。
耳血が止まらず、熱が出た。土曜日午後から耳鼻科やってないん文京区。普通やってるはずもないが、痛みで忘れていた。昨晩の激痛に比べ沈静化してきたけど、明日も病院いけんしなぁ。日頃の行い悪いし。ぐったり。ターニャも最近調子が悪いらしい。彼女は日頃の行い悪くないのにね。
語り手の事情、という題はどこかで聞いたなぁ、と思ったんだけど、ちょうどjagarlさんが読んでたからだった。